新日本プロレスやUWFで活躍し「いぶし銀」と称されたプロレスラーの木戸修(きど・おさむ)さんが死去していたことが14日、分かった。11日午後10時ごろ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。

フォール技「キド・クラッチ」を武器に、前田日明と86年IWGPタッグ王座獲得。33年間のマット生活から引退後は、長女でツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)を支えた。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者だけで執り行う。

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大技はなくとも、神様直伝の寝技で「いぶし銀」と愛された木戸さんが旅立った。関係者によると、数年前から、がんで闘病生活を送っており、抗がん剤治療などを受けていた。11日に容体が急変。自宅から救急搬送された病院で午後10時過ぎ、息を引き取ったという。遺族の意向で葬儀後に公表予定だったが、SNSで情報拡散。前倒しする形でファンにも伝えられた。

アントニオ猪木、藤波辰爾ら盟友と日本プロレス退団後の72年、新日本プロレスの旗揚げメンバーになった。76年の渡米後は「プロレスの神様」カール・ゴッチに師事。レスリング技術を学び「マイ・サン(私の息子)」と気に入られ「究極の技巧派」と呼ばれた。

帰国後は関節技「わき固め」や、そこから倒れ込んで脚と腕を固めるフォール技「キド・クラッチ」で昭和を彩った。84年から第1次UWFに参加、85年に新日本復帰、86年に前田とIWGPタッグ王座獲得。この日、新日本の公式サイトで「ゴッチ譲りの研ぎ澄まされたグラウンドレスリングと格闘技テクニック」と追悼された職人肌だった。

木村健悟と組み、ジャンボ鶴田や天龍源一郎と渡り合った。01年11月2日、横浜文化体育館で33年間の現役生活に終止符。コーチに転じて新日本に残ると、米プロレス団体WWEのトップレスラーとして活躍する中邑真輔らを育て上げた。

その引退興行で、花束贈呈者としてマットに上がっていた娘2人の長女が、後にプロゴルファーとなる愛だった。現役を退いた後は娘の指導に力を注ぎ、ジュニア時代は車の送迎役も。プロ合格後もツアーに同行して18ホールを歩き応援した。今年8月には結婚に立ち会うこともできていた。

05年に現役復帰。ビッグマウス・ラウド、全日本、そして10年に猪木さん旗揚げのIGFに参戦し、藤波と組んで初代タイガーマスクや藤原喜明と対戦した。猪木さんとは20年2月の武藤敬司プロデュース大会で同じマットに立った。これが最後の表舞台となり、まだ自宅で鍛えている近況を明かしていたが、コロナ後は療養生活を送っていた。

○…新日本プロレスでコーチだった木戸さんから指導を受けた中邑真輔(43)がSNSを更新し、2ショット写真をアップした。英語で「私の最初のレスリングの師匠 木戸修」と記し、故人をしのんだ。武藤敬司氏も「2020年2月、最後のプロレスリングマスターズに参加して頂いたことが思い出になってしまいました。心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼。リングアナの田中ケロ氏も過去巡業中のエピソードを披露し「布団にシワひとつあってもダメ。荷物整理もちゃんとして、決まった物は決まった所に置く。髪形と一緒できちっとした方でした」と思い出をつづった。