綱とりに挑む大関豪栄道(30=境川)が際どい勝負に敗れ、痛恨の2敗目を喫した。関脇隠岐の海に攻め込まれながら土俵際で突き落とし、軍配は豪栄道に上がったが、物言いの末に行司軍配差し違えで白星を逃した。15日制が定着した49年夏場所以降に誕生した31人の横綱で、8日目で2敗しながら昇進したのは5人だけ。厳しい状況に追い込まれた。

 シーンと張り詰めていた満員札止めの場内に、観客のどよめきが充満した。「豪栄道の体(たい)が先に落ちており、隠岐の海の勝ちと致します」。協議説明のマイクを握った友綱審判長(元関脇魁輝)が、行司軍配差し違えを告げた。その瞬間、2敗目が確定した豪栄道は天を仰いだ。

 際どい勝負だった。左差しを許した豪栄道は、後退しながら必死に首投げを仕掛けた。決まらず、さらに下がると、今度は左から突き落とす。隠岐の海の体が落ちるまで、右足を土俵外に振り上げた。俵に乗った左足も、かかとで蛇の目を踏むまいと必死に残った。

 行司木村玉治郎の軍配は、豪栄道に上がる。だが、すぐに物言いがついた。問題は、豪栄道の左かかとではなく右足だった。「豪栄道の体が土俵の中になかった。(左)かかとと言うより、もう片方の足が飛び出していた」と友綱審判長。宙に浮いた右足が、土俵外に出ていたという判断で、差し違えが決まった。

 綱とりの夢が遠のく黒星。豪栄道は「う~ん、何とも言えないですね」。かかとが蛇の目を踏んだ感触は「いや、なかったけど」と否定した。4年前の九州でも、全勝で迎えた9日目の日馬富士戦で誤審騒動の末に敗れ、優勝争いから後退した。因縁の地、しかも人生最大の勝負場所で、またも微妙な運に見放された。

 49年夏以降誕生した横綱31人中、8日目までに2敗を喫して昇進したのは5人だけ。「振り返ってもしょうがないので。明日からまた気合入れてやりますよ」。何とか切り替えようとしたが、綱への道はさらに厳しくなった。【木村有三】

 ◆8日目までに2敗して綱とりに成功 49年夏以降では、59年春の朝汐、61年秋の柏戸、70年初の玉の海、98年夏の3代目若乃花、99年夏の武蔵丸の5人。