そこに、いつもの光景はなかった。

 初めてどっかりと座った東の支度部屋の、最も奥の席。天皇賜杯を抱き、誇らしげな稀勢の里の背中には支えてくれた人たちがいた。両親とのスリーショットも撮った。ただ、それだけだった。最近の歴代優勝者のように、一門の関取衆を従えて一緒に万歳三唱を繰り返す姿は、なかった。関取衆には事前に「やらない」と伝えられていた。

 かつて、先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)に「孤独になれ」と言われた。他の力士となれ合いになること、勝負師として情が移ることは許されなかった。その教えが染みついていた。巡業でも他の力士と親しく話す姿は珍しい。24時間365日が勝負の場。だから「力士の友だちはほとんどいない」と苦笑いする。初めての“晴れ舞台”でも考え方は変わらなかった。

 不器用で武骨。古風な力士像を地で行く。人前で携帯電話をいじらない。SNSで私生活をさらすこともしない。テレビやCMにもまず出ない。「力士は普通になってはいけない。神秘的でなければ」が信条。

 昨年、動画サイトへアップするために力士会で撮影した「ひよの山かぞえ歌」を、歌わなかったことを白鵬に厳しく指摘された。

 たとえば、相撲協会主催の赤ちゃん抱っこのイベントでは、泣かれる赤ちゃんに苦戦しながらも笑い合う。巡業で、求められるサインにも懸命に応える。募金活動や表敬訪問でも、心を砕いて触れ合ってきた。

 ただ「ひよの山」の一件は突然言われた、あくまでも“有志”だった。その中で先代が言う「なれ合い」はできない。不器用なまでにいちずな思いを貫いた。一方的な非難を受けたが、言い訳も反論もしない。孤独な大関の生きざまだった。

 優勝一夜明け会見で再び、先代の言葉を明かした。「『横綱は孤独だ』と言っていました。孤独にならなくては相撲は取れないと」。人間、孤独でいることはつらいに違いない。誰でも群れに入れば安心する。だが、それでは強くなれない-。そう信じ、貫き続ける稀勢の里の心は、決して弱くはなかった。【今村健人】