血管肉腫のため13日に41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)に関する取材対応に、部屋付きの振分親方(元関脇高見盛)と、おかみで故人の真充夫人(40)が14日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で応じた。

今月7日に再入院した東関親方は10日ごろに意識がもうろうとなったという。ちょうど部屋は、宮崎・延岡合宿をしていて11日に帰京。振分親方は、その足で都内の病院で東関親方と対面。人工呼吸器を付けていたが、そのマスク越しでも聞こえる声で「おつかれさん」と語りかけてくれたという。「自分が行って、元気になってくれたと。目を見開いて言ってくれたので、元気になってくれると信じていたのが…。あんなに身も心も強い人が、急に体調が悪くなるなんて、信じられない。感謝の気持ちしかない」などと、時折、言葉に詰まりながら話した。

おかみの真充夫人によると、かねて「力士たちに会いたい」と話していた師匠の希望をかなえるために、担当医師に頼んで12日に、都内の病院から部屋に病床の親方を連れて帰ったという。そして弟子の1人1人の手を握り、しこ名を呼んだという。「まるで、それを待っていたかのように全員が終わると、呼吸がなくなって。みんなに見送られたのが救いかなと思います」と話した。

それから1日たって13日午後9時52分に、東関親方は息を引き取った。深夜にもかかわらず、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、一門の八角理事長(元横綱北勝海)ら関係者が弔問に訪れたという。「これからも東関部屋をよろしくお願いします」。気丈に報道対応した真充夫人は、最後にそう言って部屋の継続発展に思いを込めていた。