新関脇若隆景(27=荒汐)が初優勝を飾った。優勝決定戦で3敗で並んだ平幕高安を破った。

 ◇   ◇   ◇

「相撲一家」としても、うれしい初賜杯となった。若隆景は祖父が元小結若葉山で、父の大波政志さん(54)は元幕下若信夫。さらに幕下で長男の若隆元、次男で幕内の若元春とともに「大波3兄弟」として長く注目を浴び続けていた。

【大相撲】春場所・幕内の星取表

若隆景の幼少期、テレビで大相撲を観戦する政志さんは「今のは良かった」「あそこはダメだ」と“ぼやき”を飛ばした。そのそばでテレビに夢中だったのが三男坊。「俺のぼやきに付き合ってくれたのは渥(あつし、若隆景の本名)だけ。相撲が好きで真面目だった」と振り返る。

3学年上で長男の若隆元は“親代わり”だった。父がちゃんこ店を営み始めた時、若隆景は2歳ごろ。父が作り置いた食事を食べさせたり、風呂に入れてくれたりと、面倒見のいい兄だった。

2人の兄は高校から携帯電話を持ち始めたが、若隆景は中学生で買い与えてもらった。長男の提案だったという。「『もうそんな時代じゃないから。俺が全部(携帯料金を)出すから、渥に携帯持たせてやってくれ』と」。関取ではなく力士養成員の兄は、自身の場所手当などから、若隆景の高校卒業まで携帯料金を払い続けたという。

「渥(若隆景)本人が欲しがったわけじゃないんだけど、兄なりの気遣いだったんでしょう。うちの3兄弟の要というか、長男の役割は大きい」と父政志さん。長男と次男、次男と三男のケンカは頻繁に起こるが、長男と三男のケンカは見たことがないという。今場所は付け人として支えてくれた。

1学年上の次男、若元春は常に高い壁だった。小6での体格比較なら若元春は163センチ、86キロで、若隆景は150センチ、40キロほどしかなかった。その差は明らかで、相撲では歯が立たなかった。父政志さんは「子ども扱いされて、常に悔しい思いをしていた」と述懐する。

若隆景は稽古を「やめろ」と言われるまで続けるタイプ。体格差を地道な努力で埋めてきた。稽古場で若元春と対等になったのは、プロになってから。その若元春は「僕の成績は、三男坊に引っ張ってもらって上がっていると思うんで、感謝しています」と笑う。

若元春は今場所、自己最高位の西前頭9枚目で9勝6敗。父いわく、良くも悪くもマイペースな性格だが、弟の活躍が刺激になっている。相乗効果で若隆景を追いかけていく。

祖父の若葉山は現役時代「足取り名人」として活躍した。5歳だった若隆景が相撲を始める前に死去。思い出はほとんどないが、政志さんは「渥にとって、本当に話で聞くだけの存在だけど、角界入ってからおじいちゃんの番付は夢だったと思う」と代弁した。

今場所前には、初めて本人の口から「上」への意識が聞けたという。2月、都内にある若隆景の自宅での食事中だった。「私がふざけて『大関になるんだろ?』と耳元で聞いたら『うん』と。口数は少ない子だけど、上を目指すと聞いて安心した」と政志さん。賜杯の先に広がる夢がある。【佐藤礼征】

<若隆景渥(わかたかかげ・あつし)>

◆本名 大波(おおなみ)渥。

◆生まれ 1994年(平6)12月6日、福島市。

◆経歴 福島・吉井田小1年から地元の道場で相撲を始める。信夫中から学法福島。東洋大に進学した。

◆初土俵 16年度の大学選手権で準優勝し三段目100枚目格付け出しの資格を得て17年春場所、兄2人が所属する荒汐部屋からデビュー。

◆順調な出世 18年夏場所、所要7場所で新十両に昇進。19年九州場所、新入幕。21年名古屋場所で新三役(東小結)。

◆相撲一家 祖父は元小結の若葉山、父は元幕下の若信夫。長兄は現在幕下の若隆元、次兄は幕内の若元春で若隆景は3男。

◆しこ名 戦国武将、毛利元就の3人の息子にちなむ。若隆景は3男・小早川隆景から。

◆体格 181センチ、130キロ。得意は右四つ、寄り。