西幕下33枚目の常幸龍(34=木瀬)が引退会見に臨み、「もう相撲人生においてやり尽くした。後悔はない気持ちでいっぱいです」と目頭を拭った。今後については「特に決まっていないです」と協会から離れるが、相撲との縁は切れずアマチュア界の発展などに力を入れるという。

兄亮太さんに続き小2から相撲を始め、埼玉栄高2年時に国体個人など全国優勝、日大2年時には学生横綱に輝いたエリート。11年の5月技量審査場所で前相撲から取り、序ノ口デビューからは史上1位となる27連勝を記録した。12年夏場所で新十両、同年九州場所で初土俵から所要9場所で新入幕を果たし、最高位は小結(14年秋場所)。金星1個(15年初場所の日馬富士戦)を獲得。右膝のけがなどもあり、16年初場所を最後に幕内から遠ざかり、一時は三段目まで落ちた。

先場所を終えて東京に帰った時に、師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)に引退について相談。悩まされてきた膝の状態が原因だった。「痛み止めの注射も打っていましたが、限界になった。これ以上やったら、人工関節になるよと言われて引退を決めました」と明かした。「最後に(両国)国技館の土俵で相撲を取りたい」という思いを秘め、今場所に臨んだ。13日目に東幕下44枚目の白旺灘(はくおうなだ、22=山響)に掛け投げで敗れて1勝6敗で締めた。

「いろんな気持ちが入り交じりましたが、同部屋の(幕下の)大成龍が優勝がかかっていたので、そっちのほうが緊張しました」。苦楽を共にした後輩が見事に幕下優勝を飾り「いろいろつらい時も2人で話して、頑張っていた。本当に自分のことのようにうれしかった」と目頭を押さえた。11年5月に初土俵を踏んでから現在にかけて「あっという間でした。師匠をはじめいろんな方々に心配をかけましたが、感謝しております」と言った。

自身の育てた最初の三役力士の引退に、木瀬親方は「うちの部屋じゃなかったら、もっともっと番付が上がったんじゃないか。まさに原石。磨ききれなかった悔しさがある」。今場所の相撲は「切なくて見れなかった」と本音を吐露しながら、第2の人生に向かう愛弟子にエールを送った。