17日に60歳で亡くなった錣山親方(元関脇寺尾)の通夜が22日、東京・江東区の錣山部屋で営まれる。

3日に始まった冬巡業は20日の兵庫・尼崎市で行った後、力士ら一行はいったん帰京。24日の栃木市での開催を残すだけとなった。22日に通夜、23日に告別式を予定したのは、協会員を参列しやすくする配慮とみられる。部屋のOBを含めた「家族」が集結する2日間になる。

錣山部屋は、錣山親方が最初に育てた関取でもある立田川親方(42=元小結豊真将)が継承する見通し。立田川親方によれば、11月の九州場所前に「洋介(立田川親方の本名)、部屋のことを頼むな」と電話で告げられていたという。

錣山親方は、弟子たちのことをしこ名でもなく、名字でもなく、本名の下の名で呼ぶ。だから立田川親方への言葉は「洋介」になる。

稽古場ではかつて、こんな声が師匠から飛んでいた。

「洸助、今は右しか使ってないぞ」

「一毅、いい当たりだ」

洸助は阿炎、一毅は王輝のことだ。

なぜ下の名で呼ぶのか? 生前、錣山親方に聞いたことがある。答えは明快だった。

「そんなの、同じ屋根の下に住んでいるんだから、当たり前じゃないですか。家族ですから」

錣山親方が4歳の時に父・鶴ケ嶺は引退して親方になり、9歳の時に父は独立。小さいころから、相撲部屋で育った人生だった。部屋のみんなが家族だった。

錣山部屋の稽古場には、連合艦隊司令長官だった山本五十六の言葉「男の修行」が掲げられている。部屋の道場訓でもあり、稽古後に力士が唱和する。

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一つ、苦しいこともあるだろう

一つ、言いたいこともあるだろう

一つ、不満なこともあるだろう

一つ、腹の立つこともあるだろう

一つ、泣きたいこともあるだろう

これらをじっとこらえていくのが男の修行である

◇  ◇  ◇

「オヤジが好きで、この言葉が部屋に飾ってあったんです。自分ができたから言わせているんじゃないんです。できなかったから言わせている。男の修行というよりは、人間の修行だと思っています」

時代に合わせた解釈と謙遜を加えつつ、錣山親方はこう説明してくれた。

この言葉を胸に、実直に実践してきた立田川親方に部屋を任せる。”家族”による、美しい継承になる。【佐々木一郎】