大相撲の元関脇寺尾で、17日にうっ血性心不全のため60歳で亡くなった錣山親方(本名・福薗好文)の遺志を継いで「新生錣山部屋」がスタートを切った。

初場所(来年1月14日初日、東京・両国国技館)の新番付発表から一夜明けた26日、東京・江東区の部屋で本格的な稽古を再開。部屋の全力士がそろって稽古をするのは、錣山親方が亡くなって以降初めてだった。

午前8時36分、申し合い開始前に、年寄「錣山」に名跡を変更し、部屋を継承予定の立田川親方(元小結豊真将)が「みんな、師匠に言われたことを思い出して、師匠があそこで見ているから、師匠に恥ずかしくない稽古をしよう」と話した。

「あそこ」と言った際の視線の先には、錣山親方が39歳で現役を退いて1年足らずのうちに撮影された遺影、遺骨などが、上がり座敷の一角にまとまって置かれていた。兄弟子でもある“新師匠”の言葉に、力士は「はいっ!」と全員で声をそろえ、気合十分で申し合いを開始した。

新体制初日は3時間余り、たっぷりと稽古を行った。途中、部屋頭の前頭阿炎は「相手に合わせて相撲を取っちゃダメだ。自分のペースでやらないと」などと、若い衆にアドバイスを送りながら、自らも四股、すり足、ぶつかり稽古の胸出しなどで汗をかいた。

稽古の最後には、立田川親方が「コロナでずっとやっていなかったけど『男の修行』をやろう」と、切り出した。

錣山部屋の稽古場には、連合艦隊司令長官だった山本五十六の言葉「男の修行」が掲げられている。部屋の道場訓でもあり、稽古後に力士が唱和していたが、コロナ禍で数年間、行っていなかったが、この日から再開された。

「一つ、苦しいこともあるだろう」。

「一つ、言いたいこともあるだろう」。

「一つ、不満なこともあるだろう」。

「一つ、腹の立つこともあるだろう」。

「一つ、泣きたいこともあるだろう」。

「これらをじっとこらえていくのが男の修行である」。

目を閉じて言葉をかみしめながら、全員で唱和した。亡くなった錣山親方の遺志を継ぎつつ、新たな1歩を踏み出した。