110年ぶりの快挙目前に悲運が襲った。勝てば優勝だった新入幕の東前頭17枚目・尊富士(24=伊勢ケ浜)は、朝乃山に寄り切られて2敗目を喫した。その取組で右足首付近を負傷。自力で歩行できず、車椅子で運ばれ、救急車で大阪市内の病院へ搬送された。優勝は3敗を守った大の里との2人に絞られた千秋楽、尊富士は豪ノ山との対戦が組まれたが、出場も危ぶまれる状況となった。
異変をすぐに察知したのだろう。朝乃山に出られた尊富士は、無理に残そうとはせず土俵を割った。
立ち合いはいつものように思い切り、鋭く当たった。朝乃山得意の右差しを許し、圧力をかけられたところを踏ん張った瞬間。映像では右足をひねったように見えた。右足を引きずるように土俵を下り、車椅子で医務室に運ばれた。右足の膝から下をギプスで完全固定。会場内で診察した医師は「レントゲンを撮ってみないと分かりません」とだけ説明した。尊富士は無表情で無言で、大阪市内の病院に救急車で搬送された。
歴史的快挙を目前にだれもが予想しない「待った」が入った。13日目を終えて12勝1敗。2番手に2差をつけ、勝てば優勝が決まる状況だった。1914年(大3)5月場所の両国(元関脇)以来となる新入幕Vへ。さらに所要10場所の史上最速優勝へ、大相撲の歴史を塗り替える瞬間に、あと1勝と迫っていた。
184センチ、143キロは幕内では小柄な方だ。鳥取城北高2年時に左膝の靱帯(じんたい)を断裂する大けがを負った。日大でも2年時に右膝を負傷。アマで個人の実績は残せず、前相撲からスタートしたのが反骨心となり、今の活躍へとつながる要因となった。
12日目に初黒星を喫し、13日目の朝は稽古場に初めて姿を見せなかった。「体全身がつったような感じになった。僕も人間なんで。精神的にもきてるのかな」と笑顔で話していた。張り詰めた心で突っ走ってきた。意識はなくても、いつの間にか疲労が心と体に忍び寄っていたのかもしれない。最終盤に襲った、まさに悲劇としか言えない。
自力で歩行できない状況から、単独トップで迎える千秋楽の出場も微妙となった。対戦相手は、ここまで10勝4敗の豪ノ山が組まれた。ほかに優勝の可能性を残すのは、3敗を死守した大の里だけ。いずれにしても初優勝となるが、結末はまるで見えない。
13日目を終えた後、支度部屋で「勝っても負けても自分の相撲をとって、15日間しっかり土俵に上がることだけが務め」と話していた。強く見せていた、結果よりもけがに対する意識。最大の懸念が、この局面で尊富士を襲った。【実藤健一】
<千秋楽の行方>
◆尊富士が出場
豪ノ山に○→尊富士が優勝
豪ノ山に●→大の里●で尊富士が優勝
大の里が○→優勝決定戦
◆尊富士が休場
大の里が●→尊富士の優勝
大の里が○→12勝で並ぶも決定戦不戦勝で大の里優勝
◆千秋楽休場で優勝した力士 73年(昭48)九州場所で、横綱輪島は13日目に優勝を決めたが、右手に6針を縫う裂傷を負い、14日目、千秋楽を休場した。89年(平元)春場所で、横綱千代の富士は14日目の大乃国戦で27回目の優勝を決めたが、取組中に左肩を脱臼。千秋楽は休場した。輪島、千代の富士は千秋楽までに優勝を決めており、休場して千秋楽に優勝を決めれば、尊富士が史上初となる。なお輪島、千代の富士は千秋楽の表彰式には参加している。