「鉄人」が、ついに歴代1位の大記録に並んだ。

関取衆最年長で東前頭10枚目の玉鷲(39=片男波)が、初土俵からの通算連続出場を、元関脇青葉城に並ぶ歴代1位の1630回に伸ばした。初日に続き、この日は東前頭11枚目の佐田の海に敗れて2連敗。大記録に花を添えることはできなかったが、そんな悔しい経験の数々も、今の玉鷲をつくり上げてきた。

04年1月の初場所で初土俵を踏み、同年3月の春場所で番付に初めてしこ名が載ってから、20年半で1630回、休まず戦い続けてきた。11月には40歳となるが、この日も朝稽古から、たっぷりと汗を流した。モンゴルから来日し、19歳で初土俵を踏んだころから変わらず、けがに強い体をつくり続けている。稽古後は「コツコツやっていれば、いいことがあるのかな」と、持ち前の笑顔を見せながら、しみじみと語っていた。

大記録に並んだ青葉城とは、尾車部屋の部屋付きだった不知火親方として記憶に残っている。「初めて会ったころは、そんなすごい人とは知らなかった。いつも尾車部屋の同じ場所に座っていて、笑顔で若い衆のころから声を懸けてくれた」と、すでに定年退職し、相撲協会を離れた、自身の前に「鉄人」と呼ばれた“先代”に思いをはせた。

20年余りの土俵人生で、数え切れないけがを負い「いつ土俵で死んでもおかしくない」と考えるようになったという。だからこそ「1秒でも2秒でも無駄にしたくない」と、土俵外では夫人と2人の息子との時間を大切にする。現在、長男が8歳で、次男が5歳。「下の子が小学校に入って、自分が相撲をやっていると分かるぐらいまで、あと2年ぐらいは現役を続けられたら」。まだまだ、連続出場記録を伸ばすつもりだ。

「無休」だが、日本相撲協会ホームページでは、取組前の公式記録で、生涯成績は821勝809敗2休となっている。22年名古屋場所で、部屋に新型コロナウイルス感染者が出て、規定により13日目から3日間休場した(記録上、うち1日は不戦敗)。不可抗力で休場扱いにならず、連続出場記録は継続された。だが部屋宿舎で、相撲をテレビ観戦した当時を振り返り「初めてだから不思議な気持ちだった。あれはもう経験したくない」と話したことがあった。身上としているのは「ファンが喜ぶ相撲を取る」こと。それが、ここまで出続けるモチベーションだった。喜ぶ、喜ばない以前に、土俵に立たないという選択肢は、玉鷲にはない。

3日目は、かつて自身の付け人を務めていた、西前頭11枚目の輝戦が組まれた。その輝がすでに30歳。現役生活の長さを感じるシチュエーションの中で、歴代単独トップとなる、1631回目の土俵に立ち、不滅の大記録へと突き進む。