[ 2014年6月27日8時38分

 紙面から ]ボールをおなかに忍ばせるボスニア・ヘルツェゴビナのピャニッチ(AP)<W杯:ボスニア・ヘルツェゴビナ3-1イラン>◇1次リーグF組◇25日◇サルバドル

 歴史的初勝利だ!

 すでに敗退が決まっていた初出場のボスニア・ヘルツェゴビナが、イランに勝利した。ボスニア紛争が終結して19年。同国サッカー協会内に、対立する3民族がそれぞれ会長を立てるなど不和が続き、国際サッカー連盟(FIFA)から資格停止処分も受けた。困難を乗り越え、今大会最後の試合でつかんだ1勝に、サフェト・スシッチ監督(59)は目を潤ませた。

 ボスニア・ヘルツェゴビナの2点目を決めたMFピャニッチは終了の笛が鳴るとボールを拾った。“記念品”をユニホームのおなかの中にしのばせ、ロッカー室へ向かった。待ちに待った1勝。今大会で退任するスシッチ監督は「イランも進化を証明する勝ちが必要だったはず。そんな相手に、選手たちは意欲と情熱を見せてくれた」とたたえた。

 先制点のジェコやFWイビシェビッチを中心に、パス回しから圧倒した。今大会は2戦目のナイジェリア戦でジェコの得点が微妙なオフサイド判定で取り消されるなど不運もあり、1次リーグ敗退が決定。それでも母国サッカーの未来を背負い、意地の3点で新たな1歩をしるした。

 苦難の歴史を乗り越えた。95年に紛争終結もサッカー界の戦いは続いた。ボスニア・ヘルツェゴビナとしては98年W杯フランス大会予選から出場。だが国は荒れ、満足な施設で準備ができないまま敗退が続いた。敵対する3民族はそれぞれ同国協会に会長を選出し、11年4月にはFIFAから資格停止処分を受けた。

 そんなピンチを救ったのが元日本代表監督イビチャ・オシム氏だった。協会の正常化委員会座長に就任すると、民族間の緊張を和らげるために尽力。会長職を1人とした制度改革を発表し、11年5月末の処分解除につなげた。

 ブラジルでの1勝が、不幸な戦争を乗り越え、海外でプレーする多くの選手たちによってもたらされたというオシム氏は「スロボドゥナ・ボスナ(自由なボスニアの意味)紙」にコメント。「成功は繰り返されなければいけない。言い換えれば、成功した人間になるためには、成功を繰り返さなければならない。そのことを選手は学ぶ必要がある」と独特の表現で今後の代表の活躍に期待した。

 16年欧州選手権フランス大会の予選がすぐにスタートする。相手のケイロス監督からも「F組でベストのチームが敗退した。彼らは素晴らしいチームだと示した」と認められたボスニア・ヘルツェゴビナ。その力を示す舞台はまたすぐにやってくる。

 ◆ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

 ユーゴスラビアの解体が進む92年から始まった。ボスニア・ヘルツェゴビナは同年、ユーゴスラビアからの独立を宣言したが、セルビア人は独立に反対し、クロアチア人、ボシュニャク人との対立が激化した。北大西洋条約機構(NATO)によるセルビア人側への空爆も行われた。95年に和平交渉が行われ停戦。およそ3年半以上にわたる戦闘で、死者20万、難民・避難民200万が発生した。

 ▼77カ国目のW杯出場国

 今大会唯一の初出場国ボスニア・ヘルツェゴビナがW杯初勝利。77カ国目のW杯出場国となったが、白星は史上60カ国目。今大会のホンジュラスを含めて未勝利は17カ国ある。現行の大会方式となった98年大会以降、初出場大会で1勝以上は9カ国目。