作家の湊かなえさんを「イヤミスの女王」と呼ぶのは、その作品が読中「イヤな気持ちになるミステリー」であり、それでも大胆で緻密なストーリー展開で最後は読者の心を捉えて放さないからだ。

そんなことを改めて書くのは、「異端の鳥」(10月9日公開)にそれに似た魅力を感じたからだ。

目を覆いたくなるような描写をまぶしながら、見終われば心震わされる。昨年のベネチア映画祭の上映会では、途中退席者が続出したが、終映後にはスタンディングオーベーションが約10分間続き、ユニセフ賞を得たという。

冒頭、少年が小動物を抱えて森の中を走る。彼よりひと回り体の大きな子どもたちに追われているのだ。追いつかれた少年はボコボコにされ、火を付けられた小動物は炎の中をのたうち回った末に動かなくなる。

居たたまれない幕開けだ。モノクロ・シネマスコープの横長画面があまりにも美しいので、そわそわする腰を何とか落ち着けることができた。

少年は1人この田舎に疎開し、預かり先の老婦人と2人暮らし。この老婦人の死をきっかけに村を追い出され、行く先々でも疎外され、さらには虐待めいた目に遭う。時は第2次大戦下。場所は東欧のどこかで、彼がホロコーストを逃れたユダヤ少年であることが次第に明らかになっていく。

映画は少年が時としてかすかな救いを得たり、大半はひどい目に遭う成長の旅路を描く。彼の命そのものを狙うナチス・ドイツ、そのナチスに協力したとしてそこかしこの村を焼き払い、村人を虐殺するソ連軍の攻防が続いている。ここまでは両者にじゅうりんされた東欧の怨念を現すような描写だが、チェコ出身のヴァーツラフ・マルホウル監督はむしろその村人たちが当たりどころを求めて少年をいたぶる姿に重心を置いている。

醜さを極めた人間模様の中に、かすかな良心がポッと明かりをともし、あまりにも身近な死が命の輝きを引き立てる。映画はそんな風におぼろげに美しさを映し出す。一方で、食欲も性欲も根源的なところまで突き詰められる。

構想から11年を費やした力作。ほぼ2年の撮影期間は順撮りで、少年役のペトル・コトラールもエンディングではひと回り体が大きくなっている。この辺りのリアリティーもすごいのだ。ウド・キアー、ハーヴェイ・カイテル、ジュリアン・サンズ…往年の名優たちの演技にも一段と気合が入っている。

169分の長尺だが、9章に分かれた物語はそれぞれバラエティーに富んでいて、飽きさせない。

原作者は亡命ユダヤ系ポーランド人のイェジー・コシンスキ(33~91年)。米国ペンクラブ会長を務める一方で、シャロン・テート事件との関わりやCIAとの関係など、この人自身にも毀誉褒貶(きよほうへん)あって、一筋縄ではいかない人生を送っている。

壮絶な旅を終えた少年の心が屈曲しないわけがなく、エンディングはなんとも苦い。が、今まで覚えたことのないような心を揺さぶるものもある。マルホウル監督の力業にねじ伏せられる。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)