2006年(平18)9月15日、大阪に戦後初の落語定席がオープンした。上方落語協会会長だった桂三枝(現在の6代文枝)が天神橋筋6丁目から赤い人力車をひき、人波をかきわけ南へ走った。後ろの座席には3代目桂春団治さんがいた。「天満天神繁昌亭」は、こうして華々しく幕を開けた。
あれから19年。ことしの「誕生日」(9月15日)には、朝・昼・夕と3部構成で記念公演が行われた。記者が見に行ったのは夕方の部。文枝、4代目桂春団治(前名春之輔)、4代桂小文枝(前名きん枝)らが落語を披露し、この3人による繁昌亭オープン当時の秘話を語り合うコーナーもあった。
文枝にとって入門当時からの盟友である当代春団治、弟弟子の小文枝は気の置けない仲間で「繁昌亭ができたのは、この2人がいたから」と振り返った。当時の協会にはおカネがなく、寄付を募るという形で2億円を超す建設資金を集めた苦労などを語り合った。
この日の公演でトリを務めたのが文枝。創作落語「しあわせの寄席提灯」では上方落語四天王(6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、3代目桂春団治、5代目桂文枝)にまつわるエピソードを交えながら、繁昌亭誕生の物語を口演した。
この噺(はなし)が、またよかった。繁昌亭の舞台に飾っている「楽」の文字を書いてもらうよう米朝さん宅までお願いに行った話。松鶴さんが千里中央で行っていた落語会「千里繁昌亭」から名前を継承した話。上方落語の先達から、その魂を受け継ごうとする文枝らの奮闘ぶりが気持ち良く耳に入ってきた。
盛りだくさんの内容を聞き終えて「あー、楽しかった」と満足しつつ、劇場の外に出るとサプライズが待っていた。
先ほどまで高座を務めていた文枝が舞台衣装のまま、繁昌亭の玄関先にいたのだ。それだけではない。19年前、3代目春団治を乗せた、あの人力車が路上に出て、しかも4代目春団治が乗っていた。車を引くのは小文枝。短い距離だが、そのまま繁昌亭の正面までやってきた。たった今まで落語を楽しんでいたファンが人垣をつくって、周囲は大にぎわい。
そんななかで文枝、春団治、小文枝が順にマイクを持って、ファンに感謝の言葉を述べた。さらに文枝が人力車に乗って、春団治がひく形でポーズ。撮影タイムまでサービスしてくれた。
「皆さんに支えられて19年。来年の20周年には、ブルーインパルスに飛んでもらって…」と文枝は今から来年のプランを口にした。「ブルーインパルスは無理でっせ」と小文枝が突っ込むと「そしたら、文珍の飛行機に、2人(春団治、小文枝)を乗せて飛んでもらおう」と返して笑いが起こった。
上方落語の歴史の1ページに触れた思い。幸せな夜だった。【三宅敏】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミへキタへ~」)




