あの人の教えがあったからこそ今がある。北海道にゆかりある著名人たちの、転機となった師との出会いや言葉に焦点をあてた「私の恩師」。柔道の女子70キロ級で04年アテネ五輪、08年北京五輪と2連覇した上野雅恵氏(36=三井住友海上コーチ、旭川南高出)を支えたのは、高校時代に指導を受けた元柔道部監督、中野政美氏(70)の言葉だった。旭川から日本の頂点、そして、世界一へと激動の道を歩いた孤高の女王の原点にある師から伝えられた「心」。24日開幕の世界選手権(カザフスタン)に同行する上野コーチが、恩師と過ごした高校時代などを振り返った。

 「気の入った練習をしないと強くならない」。中野先生は、練習後、いつもミーティングをするのですが、そこで選手1人1人に「今日はどうだった」などと聞くんです。その最後に必ず言われたのが、その言葉と「人の話をちゃんと聞く素直な心を持ちなさい」と「感謝する気持ちを忘れずに」という言葉です。この3つは高校3年間、ずっと言われ続けましたね。実は技術的なことはあまり言われませんでした。

 私の同期は10人くらいいたんですが、経験者は私だけでした。でも、先生は絶対に特別扱いはしません。逆に「素人の選手がこんなに練習しているんだから頑張れ」とよく言われていました。1人だけ特別扱いされると私自身も勘違いしてしまうところがあったかもしれません。平等に一緒になって頑張れたことがすごく良かったんだと思います。

 先生は厳しかったんですが、ワッと怒るというよりは静かに言い聞かせるという感じでした。実はそれが一番怖いんですけどね(笑い)。ただ、とにかく練習は厳しかった。打ち込み、投げ込みは、15分くらいで終わるんですが、そこから4分10本の寝技の乱取りをやった後、今度は5分12本の立ち技の乱取り、さらに、3分10本の立ち技の乱取り。最後は2分5本で男子選手に引き回される練習をやるんです。

 それを高3の高校総体道予選団体戦の前にやったんです。3人で出場するんですが、準決勝、決勝は私で決まるという試合。すべて私にかかっていましたが、つらい練習をしたことを思えば絶対に負けられないと思いましたね。周りの選手も頑張ってきたし、その頑張ってきたものが私にかかっている。試合前は、準決勝で負けると言われていたんですが、ぎりぎりで優勝できました。高校時代の1番の思い出ですね。厳しい練習を乗り越えて仲間とともに勝てた。先生の柔道を体現できました。

 練習を通していろんなものに打ち勝てる心が身についたと思います。予想外のことが起きたり、土壇場になった時に、自分がそこからグッとはい上がる力は高校時代についたのかなと思います。

 それは、社会人になっても根付いています。北海道でずっと柔道をやってきて、旭川にいた時も街にほとんど出たことがなかったので、卒業して東京に行くなんて考えてもいませんでした。すごく寂しかったし、孤独でした。慣れた後も現役時代はずっとそういう心を背負っていましたが、先生には言いませんでした。勝つ姿を見せたかったので、自分自身で乗り越えないとダメだと思っていましたから。

 でも、それも先生の教え、厳しさが、励みになり支えになってくれていたからこそそう思えたんだと思います。こんなことで負けていられない、と。意思の強さは、北海道で育ってきたものだなと思います。五輪で勝った時はメダルを見せて、ありがとうございましたと言いました。勝った姿を見せられたので本当に良かったです。

 私も指導者になりましたが、先生は愛情深くていろんな人に気配りができたんですが、私はまだまだです。指導者の方が大変。選手にはしっかり勝てると同時に人から応援される選手になってほしい。そういう選手を育てていきたいですね。【取材・構成 松末守司】

 旭川南高柔道部の中野政美元監督 雅恵が中1の時に、旭川市内で行われた市内大会に出場していてそこで初めて紹介されました。その時はうまいとか速いとかの印象はなかったが、足腰が安定しているなと思いましたね。でも、五輪で金メダルを取れるとは思いもしなかったです。

 ただ、すごく真面目で素直。高校の同級生はみんな柔道が未経験者だったんですが、とにかく一生懸命やる生徒たちだった。それをばかにせず、みんなの姿を真摯(しんし)に受け止めて一緒にがむしゃらに練習したことが良かったんだと思います。同級生はすごく仲が良かった。感情をあまり表に出すタイプではないんですが、同級生といる時はいつも楽しそうでした。

 08年北京五輪の時は連覇するなと思っていました。代表決定戦で妹の順恵が勝ったのに代表落ちした夜。みんなが号泣していましたが、雅恵に「引きずってはだめ。強い姿を見せて来い」とハッパをかけました。その後の鬼気迫る姿はすごいものがあってこれは大丈夫だと思ったことを覚えています。3姉妹にはいい夢を見せてもらった。心からありがとうと言いたいですね。

 ◆上野雅恵(うえの・まさえ)1979年(昭54)1月17日、旭川市生まれ。小1から両親が教える誠心館道場で競技を始める。旭川六合中-旭川南高-三井住友海上。00年シドニー五輪は敗者復活2回戦敗退。04年アテネ、08年北京五輪女子70キロ級を連覇。世界選手権優勝2度。09年3月に第一線から退く。その後、三井住友海上のコーチに就任。14年11月から全日本女子代表のコーチも務める。上野3姉妹の長女で、次女順恵は五輪銅メダリスト。得意技は大内刈り、大外刈り。