「愛のメモリー」の松崎しげる(73)が、歌手生活55周年を迎えた。甲子園を目指した高校時代に肩を負傷し、野球を断念。音楽にシフトしたことが、今にいたる松崎を生んだ。挫折や不遇を経験しても、決して下を向かなかった。圧倒的な声量とトレードマークの黒い肌は健在。今年も「松崎しげるの日」に認定されている9月6日(クロ)に、「黒フェス 2023~白黒歌合戦~」を開催する。今も進化し続けるエンターテイナーである。【笹森文彦】

★68年「ミルク」結成

70年(昭45)10月にソロ歌手デビューした。20歳だった。2年前の68年からミルクというバンドで活動しており、そこから55年の節目を迎えた。

松崎 僕にとって板(ステージ)に上がることが最高のビタミン剤。老化現象が出ても(笑い)、観客の前で歌うワクワク感がたまらないですね。

代表曲「愛のメモリー」(77年)の大ヒット。TBS系ドラマ「噂の刑事トミーとマツ」(79~82年、共演・国広富之)などで、俳優としても活躍した。順風満帆のようだが、55年は挫折から始まった。

東京・日大一高野球部で甲子園を目指した。2年生の時、素振りの練習中に先輩のバットが肩を直撃した。肩は壊れ、退部した。

松崎 この世の終わりと思いましたね。中学でも花形で、自分はプロ野球選手になるものだと信じていた。普通はマネジャーとかになるんだろうけど、野球は辞めた。僕はそういう性格でした。

毎日遅くまで練習だったので、「放課後」を知らなかった。友達はギターを持ってフォークソングを歌っていた。音楽は嫌いではなかった。父は製糖会社経営で、家には多くのレコードがあった。小学4年の時に、ナット・キング・コールが歌う「スターダスト」を聴いて、鳥肌が立った。

松崎 野球で疲れた体をリラックスさせてくれたのは、音楽だった。どんなに疲れていても、レコード盤に針を落とすのが僕のルーティン(日課)だった。下町の江戸川育ちで、隣近所のお兄ちゃんがギターを教えてくれた。野球と音楽が共存していましたね。

放課後に出会った仲間とバンド、アウトバーンズを結成。ボーカル兼ギターでヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで、全国3位になった。

夢はプロ野球から音楽家になった。日大芸術学部文芸学科に進学した。時代は学園紛争のただ中だった。

松崎 音楽業界に就職して、プロデュースやディレクション(制作の指揮)をしたかった。学園紛争がなければ、歌い手にはなっていなかったと思います。

★先越されても

大学は2年近く休校状態で、高校時代からのバンド活動を続けた。メンバー交代はあったが、全国3位の実力。当時プロダクションに勤めていた宇崎竜童(77)にスカウトされた。グループ名をミルクに変えた。5人のメンバーには、後にガロを結成する日高富明さんと堀内護さんがいた。宇崎がマネジャーとなり、68年にデビューした。

松崎 (学園紛争で)大学に行けないままデビューしたので、20歳になった時に、(それぞれの)進路を考えようと70年に解散した。僕は制作志望だったけど、「お前だったら大丈夫」と背中を押されて、ソロデビューしたんです。

ところが何年も鳴かず飛ばず。一方、松崎と同時期にデビューしたガロは「学生街の喫茶店」が大ヒット。宇崎もダウン・タウン・ブギウギ・バンドでブレークした。ともにNHK紅白歌合戦に出場した。

松崎 みんなヒョイと僕を超えていった。でも挫折感はなかった。逆にやる気を起こさせてくれた。下は向いていなかった。

★友和CMで注目

このころ、松崎はさまざまなCMソングの歌唱を依頼された。影の仕事だったが、そのCM曲でチャンスは巡ってきた。77年に「愛のメモリー」が、三浦友和が出演するグリコアーモンドチョコレートのCM曲となり、注目されたのだ。

実は前年の76年に、飛躍のために同曲でマジョルカ音楽祭(スペイン)に出場した。当時のタイトルは「愛の微笑」で、最優秀歌唱賞と2位に輝いた。しかし、また挫折感を味わう。

松崎 トロフィー持って意気揚々と帰国したら、空港に(報道陣が)誰もいなかった(笑い)。レコード会社からもそっぽを向かれた。「誰もが口ずさめる歌を歌えよ」って。

しかし、CMに起用されると大反響が起きた。「愛のメモリー」に改題されて、レコードが発売されると大ヒットし、次々とご褒美が舞い込んだ。

★78年センバツ曲に

その年の第19回日本レコード大賞で大賞候補曲になり、第28回NHK紅白歌合戦に初出場した。翌78年には、第50回記念となるセンバツ甲子園の入場行進曲に選ばれた。かつて夢見た甲子園にたどりついた。

松崎 入場行進曲はうれしかったね。練習でバックネット裏からセンターまで届く声を出せなければ怒鳴られた。僕はドッカンドッカン声を出した。それが腹式呼吸で鍛えられた。僕の声は野球が原点です。

「愛のメモリー」は何万回も歌ったが、聴くたびに新鮮で心に響く。

松崎 歌にはその時代にしか歌えないものと、進化するものがある。「愛のメモリー」はどの世代の人が歌っても、それぞれの世界観がある。だから歌い続ける僕自身が進化しなければならないんです。

★松崎しげるの日

9月6日に東京・豊洲PITで「黒フェス 2023~白黒歌合戦~」を開催する。ソロ45周年の15年に、日焼けした肌が松崎の代名詞であることから、9月6日(クロ)を「松崎しげるの日」として日本記念日協会に認定された。その日に第1回の黒フェスを開催し、今年で9回目となる。

松崎 醍醐味(だいごみ)は、他のアーティストとコラボするドキドキ感とワクワク感。常連のももいろクローバーZには毎回、刺激をもらっています。

当日は、タレントLiLiCo(52)とデュエットした新曲「これを愛と呼ぶのか?」を初披露する。この日から配信も始まる。LiLiCoの故郷スウェーデンで86年にヒットしたデュエット曲のカバーで、LiLiCoが日本語詞にした。松崎とのデュエットを長年願っていたという。

松崎 お母さんが「愛のメモリー」を聴いていて、それを聴きながら幼少期を過ごしたらしいね。実に36年も「一緒に歌いたい」と思ってくれていたそうです。今までの飲み屋デュエットとは違い、ノリノリの曲で楽しいです。

松崎はかつて夜の帝王と言われた。その経験から「恋と愛の違いが分かってきた。書いて字のごとく『恋は下心、愛は(真ん中に心の)真心』なんです」と話したことがあった。まるで新曲のテーマのようだ。

松崎 売れないころから青春を謳歌(おうか)していたから、そう達観したんだろうね(笑い)。最近、友達がどんどん星になっちゃうけど、僕は最後まで板の上にいたいね。

▼デュエットするLiLiCo

スウェーデンで日本人の母は、毎週土曜日の朝に必ず日本のレコードを聴きながらアイロンかけをしました。その1曲が「愛のメモリー」。すごいファンキーな声の日本人がいるんだなと思っていました。

「これを愛と呼ぶのか?」は、86年にユーロビジョン・ソング・コンテストのスウェーデン予選で優勝した曲。16歳で聴いた時から、しげるちゃんと歌うと決めていました。夫(小田井涼平=52)じゃだめで(笑い)、この歌はしげるちゃんの声、パワー、笑顔じゃなきゃだめなんです。だから私は待ち続けました。

苦労があっても、人生をベストにしようとする力を持っている方。初の黒フェス、ワクワクしてます。

◆松崎(まつざき)しげる

本名・松崎茂幸。1949年(昭24)11月19日、東京生まれ。6代続く生粋の江戸っ子。グリコアーモンドチョコレートのCMには「君は何をおしえてくれた」「黄色い麦わら帽子」「私の歌」「愛のメモリー」「君がいればそれでいい」の5曲起用。プロ野球の西武ライオンズ球団歌「地平を駈ける獅子を見た」(79年)はファンの愛唱歌。親友の西田敏行、柴俊夫、志垣太郎さん、田中健と「5人会」を結成し、チャリティー活動も行った。長男は俳優松谷優輝(24)。身長167センチ、血液型AB。

◆黒フェス 2023~白黒歌合戦~

9月6日午後5時30分開演。会場は東京・豊洲PIT。出演は松崎、ももいろクローバーZ、nobodyknows+、THE冠、超ときめき■宣伝部、LiLiCo、華原朋美、丘みどり、OCTPATH(順不同)。

※(■はハートマーク)