俳優小倉久寛(68)が、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)第61回本公演ミュージカル・アクション・コメディー「ラスト★アクションヒーロー~地方都市に手を出すな~」(10月19~29日、東京・池袋『サンシャイン劇場』)に出演する。SET主宰の三宅裕司(72)と出会い、1979年(昭54)に旗揚げに参加。80年4月の旗揚げ公演から61回目の本公演。三宅との出会い、SETについて、小倉に聞いてみた。【小谷野俊哉】

★大江戸新喜劇で

公演まで1カ月。そろそろ稽古が始まる。

「若い子は多分、もうやってると思います。アクションがいっぱいあるんでね。あと、見た目はどうか分かりませんけど、僕とか三宅さんにとっては、ハードなアクションをやると思います。でも、はっきり言って、どうなるかは分かっていないんです。1カ月かけて、稽古して作って行くわけですから」

静かな地方都市を舞台に、秘密開発された超小型スーパーコンピューターを巡って暗闘が繰り広げられる。

「せりふを入れて、動きも決めて、1カ月かけて作り上げる。でも、初日があって、そこからまた、お客さんと一緒に作っていく感じがあるんですよ。初日にちゃんと出来上がるんですけど、やっぱりお客さんが笑ってくれたり、拍手してくれたり、ここで笑ってくれるはずだったのにと、いろいろなことあるわけですよ。そこでどんどん変わっていきますね。あとはお客さんが作ってくださるという感じですかね」

プロレスが好きで、マットでバックドロップをするのが大好きだった体操部の高校時代。いろいろ受けて合格した学習院大では空手部。

「松濤流の三段を持っています。寸止めですね。大学の同じ学年には、お亡くなりになった高円宮さまがいらっしゃいました。お会いしたことはなかったんですけどね。空手部とか柔道部が使う畳の道場があるんです。ある日、道場にいったらものすごい数の警備の人がいました。なんだろうなぁと思ってたいたら、当時の浩宮さま、今の天皇陛下が学習院高校で柔道の授業を受けていたそうです」

大学を卒業して、普通に就職してと、漠然と考えていた。

「真面目な学生でもなかったんで、なかなか就職が難しいな、どうしようかなとか思って、大学の3年4年とかいうのを過ごしていたんです。その頃、中村雅俊さん主演の日本テレビのドラマで『俺たちの祭り』(77~78年)っていうのが演劇青年の話で、すごく演劇やってるのが楽しそうだったんですよ。それで、なんか劇団でも入ってみようかなっていう感じで『大江戸新喜劇』っていうところに入ったんです。長男なんですけど、東京に残るための実家への理由付け。長男だったら、逆に本当は実家に帰るべきだったのかもしれないんですけどね。実家は山の仕事の家系だったんですけど」

「大江戸新喜劇」で“運命の人”三宅裕司に会ってしまった。

★5人の客のため

「お芝居とか何も知らないから、一応見てみようと思って情報誌で調べて見に行ったんです。『大江戸新喜劇旗揚げ公演』っていうのが目についたんです。旗揚げ公演っていうから、なんか若い子ばっかりで楽しそうだなと思ったら、そこで三宅さんが主演でやっていました。で、すっごく面白かった。それで、入れてもらったんですけどね。だから会ってしまったんじゃない。僕から会いに行ったんです。光り輝いていたわけですよ。ちょっと言い過ぎかもしれませんが(笑い)。本当に、すごく面白かった。その時は、まだ全然売れてませんけど、もうお客さんをコントロールしてるような感じでした。それで、かっこよかったんですよ。今でもスラッとしてるし、顔もきれいで、その人がなんかもうお客さんをゲラゲラ笑わせてるから、かっこいいなと思って入れてもらったんです」

ボーッとした人生に、芝居という宝物ができた。

「なんか積極的に生きてきたわけでは、ないんですけどね。なんでしょうかね、入ったきっかけも、就職できないし、やることないし、やるかみたいな感じでね。でも、見てみたら三宅さんが面白いし、ここだったら楽しいかなみたいな感じですよ。ずっとそうです」

「大江戸新喜劇」は方向性の違いで頓挫。三宅に声をかけられて「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」の設立に参加した。

「その当時の主宰者と三宅さんの方向性の違いってやつですね。それで、三宅さんから自分で作るけど『どうだ、来るか』って声をかけられて。すぐ行きますって言って、それで6人ぐらいで立ち上げたの」

79年の11月に設立して、旗揚げ公演は80年4月。

「よく覚えてますよ。場所は池袋のシアターグリーン。お客さんは1週間やって、全部で400人。一生懸命チケットを売りました。あの頃の4月っていうと、(労働争議の)春闘で電車が止まりましたよね。公演中に春闘があって、その日に嵐が来たんですよ。すっごい闇とすっごい風、そして電車が止まってるでしょ。そんな時に芝居行くのも大変ですよね。行かなくてもと思っていたら、お客さんがいらっしゃるかもしれない、と。そうしたらお客さんいらっしゃったんですよ、5人くらい。その5人のために一生懸命芝居をやりました。当然、出演者の方が多いわけですよね。お客さん、恥ずかしそうでした。芝居の最中はまだしも、終わって出演者が並んだら十数人で、明るくなったガラガラの席にお客さんが5人。その時の5人のお客さんに会いたいですね。もう43年前、皆さんお元気だといいですね」

三宅裕司に引きずられるようにして、走り出したSET。

「三宅さんが『宝塚を目指したいな』って。まだ劇団作ったばかりだけど。宝塚みたいに、歌って、踊って、アクションやって、宝塚を目指すって。それに、もっと笑いをふんだんに、入れてと。三宅さんは、具体的に高い志を持って始めてるんで、いろいろ計画があったんでしょう。でも、僕はそうでもなかった。ただ何となく、本当にひょんなことでっていう感じで入って、なんか楽しければいいかなと思ってた。その時は60歳とか70歳になるなんて思ってなかった」

辞めたいと思う時もあった。

★三宅さんは大人

「芝居って難しいな、うまくできないなっていう時は、辞めたいと思う時もありました。面白くない時に笑ったり、悲しくない時に泣かなきゃいけない。お客さんは面白ければ笑えばいいし、悲しいと思えば泣けばいい。だけど役者の方は、気持ちを作って、しかも相手も、お客さんもそうさせなくちゃいけない。何にも考えないで入った世界だけど、やればやるほど、考えれば考えるほど難しい」

それでも辞めなかった。常に、そばに三宅裕司がいた。

「何でしょうかね。言葉にするとなんかチープになってしまいそうな感じでうまく言えないんですけど、とにかく僕の人生を語るには、やっぱり最初に語らなければいけない。いろいろなことで影響も受けている。親の次にいろいろな影響を受けて、恩恵も受けている。劇団に入った時に20代の前半でした。その頃の3歳上って、まあまあ結構な差があるじゃないですか。僕はお芝居も何にも知らないで、笑いとかも何も勉強もしないで入ってます。三宅さんはすごく勉強してたし、そういう芸事の人がいる家系に生まれて育ってますから。やっぱり、なんかもうすごく大人なんですよ。大体、東京の神田で生まれ育ったっていうだけでね。僕なんか田舎で育ったから、東京で生活しているというだけですごいという感じなのに。でも、三宅さんは、何でもない感じで、育っている。僕は田舎で猿とか鹿とか見て育って、そのまま東京に出てきたんですから、あらゆることで差がついていた。それが、なんかそのまんま。今でも、そうですね」

SETが売れたきっかけは、今年1月に70歳で亡くなった高橋幸宏さんのラジオ「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)に出演したことだった。83年だった。

「幸宏さんの『オールナイトニッポン』が午前1時から3時で。幸宏さんが僕たちを面白いって言ってくれて、午前2時過ぎに三宅さんたちと劇団員3、4人で出て、僕はワーワー騒いでいただけでしたけど。幸宏さんは、本当に穏やかな方でした。声も全然荒らげないし、何を言っても笑ってくれる優しい方でしたね。それで僕らのレコードもプロデューサーになってくれて、YMOの記念アルバムにも、SETを推薦して入れてくれたり。その流れで三宅さんが『ヤングパラダイス』を1人でやるようになってからですね」

84年に三宅がニッポン放送「ヤングパラダイス」のパーソナリティーを始めてブレーク。

「それでSETにも、一気にお客さんがドッと来てくれようになったんですよ。その時になんか、ひょっとしたらこの世界でまあ生きていけるのかもって。バイトを辞められるかもと。バイトは、30歳くらいまでやってました。主にやってたのは東京ガス下請け会社、ガスの誘導管の図面を書いていました。いろいろ教えてもらって、最初の1週間とか2週間で住宅地図に、ガスはここの道にはこのように入ってますよって。コツコツとやる、そういう仕事を嫌いじゃなかったんですね。人とワーッと話す方じゃないんで。このままやればいいじゃんって、随分誘われました。7年くらいやってたのかな。5、6年やった頃には、製図学校を出てきた新入社員に教えてましたから(笑い)。手先は器用な方だと思います」

劇団旗揚げから40年以上たった。来月の公演中に69歳、そして来年は70歳になる。

★来年70歳になるのに重みがない

「僕が子供の時の60歳、70歳のイメージよりは、若いかもしれませんよね。あの頃の60歳とか70歳の方って、もちろん見た目もなんですけど、中身がね、なんか人間としての重みがあったじゃないですか。昔の老人の方って皆さん、人生の重みがあって、素晴らしい人も、普通の人も、とんでもない人でも、それなりの重みがあったわけじゃないですか。風雪に耐えて来た。今は、ちょっと違いますよね。自分が60代になって、来年70歳になるのに、まるで重みがない。なんでしょう、この軽さは。いいかげんっていうか、何も人生のことを考えてないみたいな。これがね、ちょっとどうなんだろうと、自分で責めている。いやいやポジティブに考えればいいかと思うんですけど、でも、ちょっとポジティブすぎるかなと」

三宅は60代になってから、腰痛、大腿(だいたい)骨骨折と病気やけがに見舞われた。

「ちょっと弱気になってた時がありましたけどね。今は、すごく元気です。この20~30年で一番元気です、良かったですね。一時期は腰が痛くて舞台に立てない。その頃は『役者としては、もう治らないんじゃないか』と言われてたらしいんです。後で知ったんですけどね。今は、そんなことはまるでなかったように楽しそうに…。いやいや、三宅さんも楽しいばっかりではやってないと思うんですよ。作るっていうのは本当に大変なことだと思うんです。僕らっていうのは、台本をいただいて、例えば、これが1としたら、それを2にして3にしてっていう作業ですよね。三宅さんは、ゼロから何かを作る。この作業は大変だし、とてもできないんですよね。だから苦しんでると思いますよ。なんか、人には見せないんで。僕は、なんか大変なことがあったら『ああ大変だ。どうしよう』って言っちゃうんですけど、絶対三宅さんは言いませんから」

弱音を吐かない三宅裕司が先頭に立って引っ張ってきたSET。常に伴走者として小倉久寛がいた。

「『劇団スーパー・エクセントリック・シアター』は、十何人で立ち上げたんです。その時に三宅さんは『俺についてくれば、お前らなんとかしてやるぜ』みたいな言葉では言いませんけど、そんな感じでみんなを引っ張ってくれたわけです」

その40年以上前の事を、三宅に聞いたことがある。

★1回だけの言葉

「どうだったんですかって言ったんです。『もうね、何にもない。ただ自分の体と自分の才能があるだけ。何にもない俺に、こんな十何人もついて来ちゃってどうしよう、責任感じるなぁと思って夜も眠れなかった』と。それを聞いて、そんな苦しんでたんだって、つらかったんだって。でも何にも見せなかったんですからね。あとは才能の塊みたいな方ですからね」

三宅裕司がやって来られたのも、小倉久寛がいたから。

「セットではないですよ。僕の方から言うと、セットじゃないとダメかもしれない。だけど、三宅さんからすれば、全然セットじゃなくてもいい。でも、一回だけ言ってくれたことがあるんです。三宅さんは、もう忘れて、覚えてないかもしれませんけど。三宅さんに『僕は、別に何をどうする才能はないですけど、自分で褒められることが1つだけある』と。『僕は、まだ売れてない時の三宅裕司を見つけて“これは売れるぞ。この人についていけば何とかなるぞ”と。あの時の三宅裕司を見つけた自分の目は、すごく褒めてやれるんですよ』って。そうしたら、三宅さんが勢いで言ってくれたんですけど『何言ってんだよ、俺がお前を見つけたんだ』と言ってくれたのは泣きそうになりました。5、6年くらい前ですかね、うれしかったです」

話したのはSETの公演の楽屋でだった。

「劇団のお芝居の時は、いつも2人の楽屋なんですよ。今年もまた、楽屋で新しいことがあるかもしれない。なんか何でもない話をしていると、ちょっと思い出したりするじゃないですか。積み重ねっていうものですよね。別に何してやろうとかじゃなくてね。ちょっとずつちょっとずつやれば。よく言えば年輪だけど、折々にいろいろやって、そこが発酵してまた引っ張って素晴らしい関係。なかなかないですからね」

SETの61回目の本公演がやって来る。

▼親友の元プロレスラー小橋建太氏(56)

亡くなられた6代目三遊亭円楽師匠が、僕がまだ20代の時に紹介してくれました。一緒に食事に行って、朝までベロンベロンに飲んでいました(笑い)。家にまで行かせもらって、小倉さんが出た、テレビのビデオを見せてもらいました。あのジャンボ鶴田さんにドロップキックをかましてたんだけど、見事に胸板を貫いていました。あの身長差(36センチ)で見事なドロップキックを決めているのを見て、SETですごく鍛え抜いてるんだと驚きました。お体に気を付けて頑張ってください。

◆小倉久寛(おぐら・ひさひろ)

1954年(昭29)10月26日、三重県生まれ。学習院大在学中に「大江戸新喜劇」に入団して、三宅裕司と出会う。79年、三宅が主宰する「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」旗揚げに参加。89年、映画「夢見通の人々」主演。94年、元宝塚歌劇団の速水渓と結婚。08年、ひとり立ち公演「踊る!職業不安定所」。NHK連続テレビ小説「らんまん」に出演。趣味・特技はプロレス観戦、空手、ギター、ブレイクダンスなど。160センチ、70キロ、血液型A。

◆舞台「ラスト★アクションヒーロー~地方都市に手を出すな~」

平凡な地方都市に潜入した2人の男。1人は国家の特殊部隊精鋭、もう1人は世界中で暗躍する腕利きスパイ。彼らの任務は極秘開発された超小型スーパーコンピューターの回収。脚本は吉井三奈子。