「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」などを手掛けた脚本家橋田寿賀子さん(90)が、脚本家として初めて文化功労者に選ばれた。「びっくりしました。意外でした。プロデューサー、スタッフ、俳優がいて、映像になって初めて脚本家。だから脚本家1人がもらうなんてあり得ないと思っていたので」。橋田さんが喜びと、これまでの脚本家生活、今後への意欲を語った。

 橋田さんは49年に松竹に入社し、脚本部に配属され、59年に退職。その後、テレビドラマの脚本を手掛けた。歴史の浅いテレビより映画の時代。「映画会社で10年もまれ、テレビに移った時、映画会社の人にばかにされました。でも、当時、映画はせりふを変えられることがよくありましたが、テレビは1行も変えられませんでした。ばかにされてもテレビを書こうと思いました」。これがテレビの脚本に力を注いだ理由。

 今後の仕事にも意欲的。「十分書かせてもらったので5月で90歳になった時、今は私の書くドラマは受け入れられないかな、引き時かなと思ったことも。でも、今回、選んでいただきましたし、まだ、頭の元気なうちに書かせていただきたいものもあります。不倫と殺人が嫌いなので書くことがないと思っていましたが、普通のことでも書かせていただける場があればまた書きたい」。

 脚本家として成功したのは、TBSのプロデューサーだった亡き夫岩崎嘉一さんの存在が大きかった。「主人のおかげでライターになれました。私は親も死んでましたので、独りぼっちでした。主人に会わなかったら家族はなかったので。結婚して家族というものが分かったんです。主人の実家に小じゅうとがいたりして。結婚したおかげで家族を知りました」。

 また、今の時代にも言及。「この地球に生まれ変わりたくない怖さがあります。世界の平和を考えても、地震を考えても。私はいい時代に生きられたなという気がします。また生きて苦労したくないです。もう戦争や地震はもういいです。私は本当に幸せな人生だったと思います。今は私の書く物は受け入れられない時代。でも強引に書きますけど(笑い)。その辺にある普通の人たちのドラマを書きたい」。

 半世紀以上も仕事を続けてこられたモチベーションもおちゃめな橋田さんらしい。「お金が欲しかったから。これを書いたら船で旅行に行けるかなとか」と笑った。

 過去、書けなくて苦しんだ経験は無いという。「私は一流になりたいと思わないから。二流で結構という人。芸術作品を書こうと思わないんです。言いたいことをいっぱい書けばいいと思ってますので。書くことで悩んだことはありません。私は二流、三流。だからたくさん書けたんです」。

 橋田さんは週3度、個人トレーナーをつけて足腰の筋肉を鍛えている。「週に1度は1000メートル泳いでいます」とも。まだまだ橋田さんの作品が、お茶の間を楽しませてくれる時間は続きそうだ。