歌手中尾ミエ(79)が来月、80歳の誕生日を迎える。当日は東京・丸の内のコットンクラブで「中尾ミエ 80th birthday live No Time At All~人生もっともっと楽しまなくちゃ~」を開催する。1962年(昭37)のデビュー曲「可愛いベイビー」がミリオンセラーの大ヒットになって、今なお歌い続けている。歌手、女優、そしてバラエティーでも活躍。その足跡とこれからについて聞いてみた。【小谷野俊哉】
★ピコ太郎とコラボ曲発売
6月6日に80歳の誕生日を迎える。
「今まで還暦とか喜寿とかの区切りは経験してきたんですけど、やっぱり違いますね。今まではお祭り気分で過ぎちゃったんですけど、さすがに80歳ともなると先が見えてきた。今のうちにやれること、やりたいことをやっておこうと思う」
コットンクラブは、昼夜の2回公演。ゆったりと座り、食事もお酒も楽しむファンとともに80回目の誕生日を祝う。
「70分間で、何曲か歌う。メドレーとかいろいろありますけど、十数曲を70分で収めなきゃいけない。私は、お客さんが間近にいるのが、歌っていて気持ちがいいですね」
今月15日にはお笑い芸人、古坂大魔王(52)プロデュースのピコ太郎が、中尾とコラボした「恋のシャロックPPAP feat.中尾ミエ」がリリース。ピコ太郎の「PPAP」から10周年企画で、中尾が68年に発売してNHK「紅白歌合戦」でも歌った「恋のシャロック」に白羽の矢が立った。
「十年一昔って言うけど、それどころじゃないからね(笑い)。だから、我慢すりゃ、また巡ってくるんですよ。向こうからオファーをいただいて、自分では予期せぬ出来事でした。健康で、自分を維持できていれば、面白い話があれば参加させてもらえる。その態勢だけはね、キープしておきたいと思います」
デビュー曲「可愛いベイビー」が62年。パンチの利いた歌声が日本中に響き渡ってから、64年がたった。
「その頃は、まだ娯楽がそんなになかった。ヒットしたら日本国中が全部一色に染まってたんですよね。今となれば、おかげさまで日本国中の人が知ってくれているから、どこに行って歌っても<歌詞>可愛いベイビ~ って歌ったら、もう条件反射みたいで<歌詞>ハイ、ハイ~ って必ず言ってくれるんですよね。そういう意味では、いい時代を経験してきたとつくづく思いますよ。今はもう、いろんなものがあって、みんなが知っている曲がなかなかない」
61年に渡辺プロと契約。10代ですぐにトップスターになった。
「自分では全然、何も分からない。デビュー曲だから、下積みも何もなくて、運良くね。だからなんだろう、芸能界ってそういうとこなのかな、と。何も分からないまんま来ちゃったから、仕事するってこういうことなのかなみたいな。比較する世界も分からないし。そういう意味では、ほとんど苦労していない。下地がないから、10年ぐらいたった時に、やっとこの世界でやっていけるかなって思いました」
★毎日運動し規則正しい生活
「歌手でも、女優でも、とくになりたいというのはなかったんです。渡辺プロに紹介状を書いてくれる人がいたんです。でも、何も経験がなかったですからね。それこそ何げなく歌でも歌ってみようかなっていう程度。音楽自体はラジオで、ずっとジャズが流れてる家だったんでね。耳で音楽には浸っていたんで」
60年代前半の渡辺プロは、創業者の渡辺晋社長の指揮下で日本の芸能界を変えつつあった。
「やっぱり、それが一番大きい。その前までは地方に行くと仕切っている関係者がいて、いろいろ危険なこともあった。渡辺プロがそういうのを断ち切って、会社を作ってちゃんとした。そういう意味では、私は本当に恵まれた環境で、この世界にいられた。嫌な思いしたことは一度もない」
15歳で芸能界入りして、80歳を迎える今も現役だ。
「やっぱり年を取れば取るほど、原動力は健康。健康じゃないと、死んじゃうんだから。体壊すとか、そんな次元じゃなくて、死んじゃう年齢なんだから。もう健康以外ないですよ。だから、ちゃんと毎日運動して、規則正しい生活をしています。ジムにも通って筋トレしています。それでもね、人生終わりは来るんですからね。それはそれで、もう受け入れるだけだし」
★9月にはミュージカル出演
9月にはミュージカル「ファニー・ガール」(東京・日生劇場)に出演する。
「私は音楽が本職だから、普通のお芝居よりミュージカルの方が楽しいですね。まだ20代の時に森繁劇団に出た時に、森繁(久弥)さんから『歌は語れ、芝居は歌え』って言われて、なるほどなと思った。私は歌手だから、役者さんにはない音楽家としてのセリフ回しで、歌う時には単なる音楽じゃなくて、その芝居の間みたいなものを歌に取り入れるというのを、なんかできるようになった。その時に、やっぱり歌手と女優の両方やってて、やってよかったなと思いました」
61年、15歳の時に契約して30年間在籍した渡辺プロを、91年に辞めた。19年(令元)にその後身のワタナベエンターテインメントに所属。“ナベプロ”に28年ぶりの里帰りを果たした。
「(87年に)渡辺晋社長が亡くなった。私は今の社長の(渡辺)ミキ社長がまだ子供の頃から、ずっと社長の家に下宿していたんです。だから、私たちみたいなのがいるとやりにくいだろうと思って出たんです。それからミキ社長が一から、また立派な事務所を作った。それで、そろそろ戻ってもいいかなと『戻ってもいいでしょ』と。まぁ、強引に戻りました(笑い)」
80歳を迎えようとする今も、現在進行形だ。
▼中尾が金曜コメンテーターを務めるTOKYO MX「5時に夢中!」垣花匡キャスター(54)
ミエさんは「人生の達人」です。80歳にしてこのパワフルさ。芸能界で、ずっと現役でい続けるすごさ。まさに「無事これ名馬」。「5時に夢中!」ではどなたがゲストに来ても辛口の色は消さないで、柔軟にゲストを生かしてらっしゃいます。プライベートでは、毎朝、お友達に囲まれてラジオ体操。こんな幸せな人生ってあるんですね!ミエさんは強さと同時にしなやかさを兼ね備えています。ミエさんのような80歳を迎えたい。これが僕の目標でありミエさんは憧れの人です。
◆中尾(なかお)ミエ
1946年(昭21)6月6日、福岡県生まれ。61年渡辺プロと契約。61~64年NHK「若い季節」。62年、16歳で発売した「可愛いベイビー」が100万枚を超える大ヒットになりNHK「紅白歌合戦」出場。同年映画「私と私」。63年エランドール新人賞。71年「片想い」。80~86年日本テレビ「お笑いスター誕生!!」司会。80~87年テレビ東京「ミエと良子のおしゃべり泥棒」。趣味はソーシャルダンス、タップダンス、水泳、書道。156センチ。血液型O。








