幼い頃は引っ込み思案だった。「本ばかり読んで、本の中の人物をいろいろ想像して遊ぶのが好きだった」。中学3年の時、劇団民芸の舞台を初めて見た。「自分が1人で遊んでたことを、いろんな人が出てきて、いろんなことをしゃべって物語が進む。すごく面白いことがこの世にあると初めて分かった。女優になることではなく、劇団に入る夢ができた」。劇団民芸が研究生を募集していると新聞で知って申し込んだ。裏方の衣装の仕事を希望したが女優として採用された。初舞台となった57年「アンネの日記」で主演した。

 ドラマや映画など映像の分野に活動を広げたが、戸惑いも感じた。「女優になりたい熱意があったわけじゃないから、場違いかしら、他の人は生き生きしてやる気満々なのに、私はすごく消極的だな、向いてないんじゃないかなと思ったりしていました」。30代、40代とキャリアを重ねたが、「女の人は面白い役がなくなってくる。30歳くらいの時、あとどのくらいできるのか、50歳になったら仕事がなくなってやめるのかしら、何て思ってました」。

 葛藤を抱える自分を支えたのは「舞台」だった。33歳で民芸を退団。程なくして1年に1度、自分で演目を探し、自分でスタッフも集める形で舞台公演を始めた。「自分がやりたい役をやっていたから、そういう意味では、めげないで済みました」。92年から13年続けた1人芝居「MITSUKO」は海外公演も行った。「舞台はいつも自分でやりたいものを探していたから良かったんです」。