国村隼(61)が出演したベルギー、フランス、カナダ合作映画「KOKORO」が、16年3月のフランスでの公開に続き日本で公開された。ベルギー人女性のバンニャ・ダルカンタラ監督は、主人公の女性アリスが1人旅をした舞台として日本を描き、アリスが日本で心を解放していく様を描いた。国村がニッカンスポーツコムの単独取材に応じたインタビュー第2回は、ベルギー人監督の目を通して描かれた日本を演じ、感じた現代日本について考え、思うところを語った。

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 「KOKORO」は、社会的地位のある夫と子ども2人を持つ幸せな家庭を営みながら、満たされぬ思いを抱えたアリス(イザベル・カレ)が、交通事故で急死した弟が生前、生きがいを見つけたと語った日本に弟の足跡をたどる旅に出る物語。アリスは、国村演じる自殺志願者に寄り添うダイスケら、日本人とふれあう中で心を解放していく。

 -近所の人が助け合うなど、昔の日本に当たり前のようにあった日常が描かれる。海外の人から見たら、日本は心を解放しやすい国に見えているかも…と感じたが、監督には日本がそう見えているのだろうか?

 国村 (昔の日本の良さを映画に)教えてもらっているようなものですからね。観客にそう(映画が現実の日本を描いていると)見えるんだったら…えっ? と(思う)。バンニャ(監督)も多分、日本の現状の全てが映画で描いたようだとは思っていないのではないか。彼女は、日本人がどう見てくれるか楽しみにしていますし、僕も同じように楽しみにしていて。この映画をきっかけに、お客さんが「もし外国の人が、日本を、こんなええように見てくれているのやったら、ずいぶん違うぞ」、「どうしたらいいのかな」という視点で、日本に元々、あったものを今、自分はなおざりにしているんじゃないかと思ってくれて、何かが変わっていけば面白いですね。

 -今の日本は閉塞(へいそく)感が漂い、生きにくいという声は少なくない。心のままに何かをすることが難しい国ではないか?

 国村 この映画を見て、そう思ってくれる日本人が1人でも出れば、いいような気がしますね。

 -タイトルになり、劇中でも細やかに描かれた「KOKORO」=心とは、どういうものだと思う?

 国村 作品に関わって、ふと最初に「何でアルファベット表記なんやろうな?」と、ちょっと引っ掛かったんです。心には「心から御礼申し上げます」もありゃあ、「心が痛む」もある。持っている意味合い、ニュアンスはすごく広くて、なおかつ、ある種の実感を持って感じられる日本語の言葉だと思います。でも作品で言うところの「KOKORO」は、もっと抽象的で、本質的なもの。何人かの人間がいて、それぞれの心が近いか遠いか、触れ合うか触れ合わないかで、何かが変わっていく…その性が、タイトルに近いのかも知れない。「KOKORO」という言葉には、ひょっとしたらバンニャの思いが全てあるのかなとも思いますね。

 -この映画で伝えたいことは、心を解放することの大切さではないか?

 国村 そうだと思います。日本のお客さんが、同じように感じてくれれば、バンニャもうれしいでしょうね。それを伝えたくて、この映画を作ったのでしょうから。ダイスケも、ある一時期、アリスとコミュニケーションを取る中で、かたくなだった部分の殻が1つ1つ、取れていっているんだと思うんですね。最後にアリスと別れた後も、同じことを多分、やり続けるんだろうけど…ひょっとしたら、次に連れてきた同居人との関わり方が、より踏み込んだ別の形があるかも知れないと思わせるエンディングでした。

 -劇中では、こうした心の動きを事細かに説明せず、観客に委ねている。観客の人生経験によって見え方が変わってきそうな作品

 国村 この映画にとって、何よりの褒め言葉。説明、しないですよね(笑い)日本のお客さんが、アリスのように感じてくれたら監督もうれしいでしょうね。

 昨今、邦画は漫画や小説を原作にした作品が多く、劇中で細かな設定が語られるものも少なくない。観客も分かりやすい映画を求める傾向が強い。それらと対局にある「KOKORO」だが、国村は「エンターテインメント」と言い切る。

 国村 僕のエンターテインメントという言葉は、ちょっと使い方が違うかも知れない。楽しみって、1つじゃないと思うんですよ。人は心の奥底にある、いろいろものが刺激され、それが自分の意識の表面に浮かび上がってくることで、あれっ? と感じ、認識することも、ある種の楽しみにつながる。人間はインスパイアされること自体を、快感に近い部分で感じることが出来るじゃないですか? 感じたら、それはエンターテインメントしていると僕は思う。つまり、表現するものは、受け取る観客がいて初めて成立するもの。伝えたい論理、テーマだけを突きつけられても、なるほどねということにはなっても、何で映画というメディアで表現したのかな? と疑問符が付くようであっては多分、映画じゃない。何らか、こちらが楽しみを伝え、どこかにエンターテインメントする要素がないと。自分が主人公の目線を追いかけながら同感したり、新たに主人公の心の痛みを発見したりが楽しみにつながり、その映画がエンターテインメントしているということだと思うんです。

 次回は国村が、俳優業について語る。【村上幸将】