「また逢う日まで」「魅せられて」など名曲を数多く生んだ作曲家筒美京平(つつみ・きょうへい)さん(本名渡辺栄吉=わたなべ・えいきち)が7日午後3時ごろ、誤嚥(ごえん)性肺炎のため都内の自宅で死去した。80歳。12日、筒美さん個人の音楽出版事務所の代行を行う日音が発表した。葬儀は近親者で行った。

総作曲数3000弱。作曲シングル総売り上げは歴代1位の7560・2万枚(オリコン調べ)に達し、昭和歌謡曲黄金期を支えた名コンポーザーが逝った。

   ◇   ◇   ◇

音楽界を長年彩ってきたヒットメーカーが亡くなった。この日、妻の善子(よしこ)さんと日音が連名で、死去を発表。近年はパーキンソン病を患っており、かねて自宅で病気療養していたという。故人の遺志により葬儀はすでに近親者により執り行われており、「お別れの会」などは、新型コロナウイルスの感染状況などをかんがみ、現段階で行う予定はないという。

突然の訃報に、筒美さんの楽曲を歌ってきたアーティストも悼んだ。79年「第21回輝く!日本レコード大賞」を受賞した「魅せられて」を歌ったジュディ・オング(70)は「ショックでまだ信じられません。筒美先生は歌手としての私を目覚めさせてくれた恩人です」。100・3万枚の売り上げを記録した「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ったいしだあゆみ(72)は「すてきな曲を作っていただき感謝しています。これからも大切にしていきます」とコメントした。

デビュー曲「男の子女の子」や代表曲「よろしく哀愁」を歌う郷ひろみ(64)は「郷ひろみを創ってくれた人が、また1人この世を去った。とても、残念なことです」。「ロマンス」の岩崎宏美(61)は「心の準備をしておりましたが、それでもやっぱり切なくて、悲しい気持ちでいっぱいです。筒美先生の優しい笑顔が今も目にうかびます」と思いをはせた。

筒美さんはレコード会社勤務を経て、66年に藤浩一(子門真人)の「黄色いレモン」で作曲家デビュー。67年にヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」のヒットをきっかけに、尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、南沙織「17才」(ともに71年)などを次々と生み出し、さらに作詞家松本隆氏(71)とのコンビで、太田裕美「木綿のハンカチーフ」(75年)近藤真彦「スニーカーぶる~す」(80年)などヒット曲を量産。グループサウンズやアイドルから「サザエさん」などのアニメソングまで幅広く手掛けた。洋楽がベースの洗練されたメロディーは1970、80年代のヒットチャートを席巻して時代を彩り、作曲数は3000曲弱に及んだ。

一方で、表彰式などを除いては表舞台に出ることを好まず、職業作曲家の立場を貫いた。05年にBSフジの音楽ドキュメンタリー番組や、11年5月にNHKBSプレミアムの特集番組に出演。松本氏との対談では、自身は歌うのが苦手なことなどを明かしていた。

◆筒美京平(つつみ・きょうへい、本名・渡辺栄吉=わたなべ・えいきち) 1940年(昭15)5月28日、東京都生まれ。青学大卒。幼稚園でピアノを始め、クラシックのピアニストを目指したが、大卒後はレコード会社に就職。66年に「黄色いレモン」で作曲家デビュー。洋楽をベースにした洗練されたメロディーで70、80年代の歌謡曲黄金期を支え、約3000曲を手がけた。尾崎紀世彦「また逢う日まで」、南沙織「17才」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、小泉今日子「なんてったってアイドル」、ジュディ・オング「魅せられて」など。「サザエさん」「怪物くん」などのアニメ主題歌も手掛けた。