TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)が、5日に6000回目の放送を迎える。1998年(平10)4月6日の放送開始から23年。パーソナリティーのフリーアナウンサー生島ヒロシ(70)の足跡を「生島ヒロシ6000回の歩み」と題して連載します。

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今から32年前の4月1日に、TBSから独立して「生島企画室」がスタートしました。所属タレントは僕、生島ヒロシだけ。スタッフは、今は相談役で長らく社長を務めてくれた弟の生島隆(65)だけ。2人きりで始めた生島企画室も気が付いたら、所属タレントが100人を超えています。

基本的には、いろいろな業界の人から頼まれるんです。仕事でご一緒した人や、知り合いの知り合いとかね。うちは頼みやすいのかな(笑い)。紹介が圧倒的で、来るもの拒まずです。いろいろなことがあるけど、できるだけ、話が合えば引き受けます。ただ、お預かりしてもうまくいかないこともある。最近はコロナでなおのことですから。ちょっと心苦しいところもある。

去年の4月には、うちの学生キャスターからフジテレビにアナウンサーが2人も誕生しました。佐久間みなみアナウンサー(23)と渡辺渚アナウンサーです(23)。たまたま偶然で、本人たちの努力と実力のたまものです。今は、次のみなみちゃんと渚ちゃんを目指して、うちの事務所の門をたたいてくれる若い人がいる。こういう若い人を育てていくと同時に、オンラインを使っても、いろいろな展開をしていきたいなと思っています。

また、昔からの仲間で番組制作をやっていた人間が企画を持ってやってくることもあります。「こういう企画を作ったから、一緒にスポンサーを口説きに行こう」ってね。だから、一緒に口説きに行くんですよね、今も。頼られる、必要とされるってことだから。過去のことを振り返ると、大変なことがあったなとか、修羅場があったなと思い出すんですけど。普段は常に前しか向いてないですね、この年で(笑い)。過去には消しゴムで消したいようなこともあるけれども、だけどもやっぱり過去にとらわれないで、前を向いている。

今の僕のメインはTBSラジオの「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」です。テレビがなくなってきて、ラジオにシフトした当時はつらかったですね。「朝にラジオをやってるんですよ」「何時からですか」「朝5時からTBSラジオです」「えーっ、そんな早い時間に聞けないですよ」って。今はタイムフリー機能の付いたアプリ、radiko(ラジコ)があるから、大丈夫ですけどね。スマホだったら、放送から1、2日くらいまでだったら簡単に聞くことができます。radikoで、ラジオの潮目が大分、上向きに変わりましたね。

70年間、何度も絶体絶命がありました。だけど、やはり諦めないということと、あとは普段から仲間を増やしておくということが大切だと思っています。正直、それで随分、助けられています。「いざ鎌倉」という時に、振り向いたら誰もいなかったら困るわけですよね。だからね、自分たちの味方を増やしておかないといけない。それは相手の立場や考えを尊重して、誠心誠意つき合うことだと思っています。

所属タレントに願うのは、1人、1人が自分の売りを持つということ。自分が何をやりたいかというのを常にアピールしろと。僕は所属タレントが100人を超える人数に増えても、1人、1人を、どういうブランディングをして、どういう売り方をしていくかを考えている。その人に合った売り方を考えていく。今は、テレビやラジオだけじゃなく、YouTubeみたいなものもあるしSNSもたくさんの種類がある。それを見極めてやっていく。

そして、難しいことですが、みんなが幸せになってくれればいい。みんなが喜ぶお手伝いができればと思っています。(続く)

◆生島(いくしま)ヒロシ 1950年(昭25)12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。71年に法大経営学部を中退して渡米。75年カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒。76年TBS入社。89年にフリー。現在のレギュラーはTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」(月~金曜午前5時)。長男は俳優生島勇輝(37)次男は俳優生島翔(35)。血液型A。