“もらい泣き中継”の裏側は…。ゴルフのマスターズを日本人で初優勝した松山英樹(29=LEXUS)。生放送で伝えたTBSの実況&解説陣の涙ながらの中継は、米中継局のCBSでも流されるなど、大きな注目を集めた。解説の中嶋常幸、宮里優作とともにメイン実況を務めたのは小笠原亘アナウンサー(48)。「55秒の沈黙」には実況者と選手の10年の歩みがあった。

松山がウイニングパットを沈め、優勝を伝えた直後、実況が消えた。「…10年の道のりは決して平たんではありませんでした」。音声に次の実況が乗ったのは55秒後。涙声だった。

「それは放送事故ですね…」。小笠原アナは苦笑いで振り返る。東京からのリモート中継。ブースで隣の中嶋は突っ伏して震え、宮里は涙をためて上を見つめていた。「『ありがとう』っていう涙、なのかなあ。松山選手のおかげで今があると思っていたので」と涙のわけを明かした。

初対面は10年のアジアアマ選手権。ゴルフでは初のメイン実況を務めた。日本の出場枠10人の10人目で滑り込み出場した松山は優勝でオーガスタ行きを決めた。「会社がそのご褒美でマスターズに連れて行ってくれた」。現地では4日間、松山に付いた。結果はローアマ。まだ体が細かった頃から話を聞いてきた。13年、国内ツアー賞金王を決めたカシオワールドオープンなど、節目には実況と快挙が重なった。

16年のマスターズ。この大会からメイン実況に抜てきが決まった。「絶対に僕の代で松山英樹の優勝をしゃべる。絶対に僕の代で勝ってくれると」。確信があった。今年、大会前の中継班の全体会議で言った。「松山が勝つと思ってやろう」。東日本大震災から10年。11年のアジアアマで「少しでも僕のプレーで喜びを与えられたらと」と話す姿を思い出していた。さらに、「コーチをつけるのはよっぽど」。長年接してきたからこそ、覚悟を感じた。

優勝用に考え続けたフレーズは、言葉にならなかった。実況席からその姿を伝えてきた時間が、あの55秒を生んでいた。中嶋は放送後、「あと何回か勝つんじゃないかな」と予告したという。「次は20秒くらいの沈黙で、すぱすぱいきますよ(笑い)」。冗談交じりも、予感は十分。また、感謝を込めて勝つ姿に声を重ねる機会を心待ちにした。【阿部健吾】

◆小笠原亘(おがさわら・わたる)1973年(昭48)3月1日、岩手県北上市生まれ。東洋大をへて96年にTBSに入社。主にスポーツ中継に携わり、野球、相撲など幅広い競技を担当。12年ロンドンオリンピック(五輪)ではボクシングの村田諒太の金メダルを実況した。現在はひるおび(火曜日)、炎の体育会TV(不定期)などを担当。TBSラジオでは「ジェーン・スー 生活は踊る」の月曜パートナーを務める。スポーツ歴は高校で柔道(初段)、大学で競技スキー。