元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。

猪木さんが2017年(平29)に10月21日に東京・両国国技館で「INOKI ISM.2~アントニオ猪木『生前葬』~」と銘打った生前葬で、司会を務めたフリーアナウンサー生島ヒロシ(71)が40年近い交流を振り返った。

「力道山を見て、馬場・猪木のプロレスで育った僕にとっては憧れのヒーローでした。猪木対モハメッド・アリの戦いを興奮しながら見たのを思い出します」と話した。

19年8月に62歳で亡くなった、猪木さんの4番目の妻の田鶴子さんが、生島の古巣であるTBSの番組宣伝部に所属するカメラマンだったことから夫婦そろっての交流があった。

「奥さんのズッコ(田鶴子)ちゃんとはTBS時代から仲が良かったので、プライベートでもお付き合いさせていただきました。ズッコちゃんが六本木で経営していたバー『ZUKKO』にも行って、楽しい語らいの時をすごしました」。

猪木さんが親しい人と開く誕生日パーティーの司会も務めた。「毎年、2月の誕生日が近づいてくると、猪木さんとZUKKOちゃんから電話がかかってきて『今年も、よろしく』と。ZUKKOちゃんがパートナーを務めるようになってから、より親しくさせていただきました」。

猪木さんからは12年2月に当時の天皇、現上皇の心臓手術の執刀医を務めた、順天堂大の天野篤医師(66)を紹介された。「天野先生も猪木さんも、お互いに挑戦することが好きで気が合っていたようでした。猪木さん夫婦と4人で食事をしながら、いろいろな話をさせていただきました。猪木さんは議員を辞められてからも、外交問題に深く興味を持って、世界のトップと交流のある自分を使ってくれればなどと、熱く語っていました」。

パーティーの席上で、リング上で、猪木さんの闘魂ビンタを何回もくらった。「今も感触が残る。大きなエネルギーをもらいました。同じ時代を生きた偉大な英雄でした。ありがとうございます。ご冥福をお祈りします」と話した。