プロ野球、中日の元投手板東英二さんが22日に慢性心不全のため死去したことが28日、分かった。公式サイトで発表された。86歳。引退後は司会、俳優など多彩なタレント活動で親しまれた。番組共演者をはじめ、芸能界からも追悼の声が相次いだ。
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板東さんは1969年(昭44)に引退後、名古屋で野球解説者を務めていた頃、上岡龍太郎さんと出会った。漫画トリオ解散後、ピン芸人として活動していた上岡さんから、芸能界のイロハを学んだ。ABCテレビ「THE ビッグ!」や関西テレビ「ノンストップゲーム」で人気者に。板東さんは自分より若い上岡さんを「さん付け」で呼び、師匠として慕っていた。
80年代になると「金曜日の妻たちへ2 男たちよ、元気かい?」「毎度おさわがせします」(いずれもTBS)などのドラマに出演。さらに「マジカル頭脳パワー!」(日本テレビ)の司会を務め、「世界・ふしぎ発見!」(TBS)でも長年レギュラー解答者として出演。持ち前の明るさを発揮した。
89年には映画「あ・うん」で高倉健さんと共演。撮影を通じて大スターの健さんと友情を深めた。撮影中、健さんが板東さんに勝負を持ちかけた。「どっちが人気があるか、勝負しよう」と言って、撮影所近くの喫茶店に2人で入った。より多くの人から声を掛けられた方の勝ち。結果は板東さんの勝利。ただし、健さんはお客さんに背を向けて座っており、板東さんは顔が目立つ位置にいた。健さんはしばらくふくれっつらだったという。
人なつっこい笑顔は、映画界の大スターをも魅了した。板東さんがメイン司会を務めていた関西テレビ「土曜大好き!830」生放送出演のため、健さんが大阪のスタジオまで駆けつけたこともあった。文字通り「友情出演」だった。
健さんが共演者に高級時計をプレゼントするのは、有名な話。板東さんは「あ・うん」での共演時と、その10年後に健さんからトークショーの司会を依頼された際にも腕時計を贈られた。時計の裏にはそれぞれ「戦友・高倉健」「感謝・高倉健」と刻まれていた。
14年、健さんは天に旅立った。翌年発表された板東さんの著書「板東英二の生前葬」には「長い間、僕にとって一番の原動力になっていたのは、また、いつか高倉健さんと同じ作品を創り上げたいという想いでした。もう、その願いは叶うことはありませんが、そう遠くないうちに会いに行きます」と「戦友」への思いがつづられていた。
◆板東英二(ばんどう・えいじ)1940年(昭15)4月5日、満州(中国東北地方)生まれ。58年、夏の甲子園に徳島商のエースとして出場し準優勝。59年に中日入団。先発、救援投手として活躍し69年に引退した。通算435試合77勝65敗、防御率2・89、748奪三振。オールスターには3度出場。引退後は野球評論家を務める一方、マルチタレントとして活躍した。「プロ野球 知らなきゃ損する」など著書も多数あり、「燃えよドラゴンズ!」などのレコードも発売。89年には映画「あ・うん」で日刊スポーツ映画大賞、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞のそれぞれで助演男優賞を獲得した。



