プロ野球、中日の元投手で、引退後は野球解説者のほかタレント、司会、俳優など多彩な芸能活動を続けていた「板(ばん)ちゃん」の愛称で親しまれた板東英二さんが22日に慢性心不全のため死去したことが28日、分かった。86歳だった。

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明るい笑顔がトレードマークだった。1989年(平元)12月28日、第2回日刊スポーツ映画大賞受賞式。高倉健さん主演の映画「あ・うん」で助演男優賞を受賞した板東さんを、日刊スポーツは最大の敬意を持って祝った。賞のプレゼンターは、前年にプロ野球巨人の監督を辞任した現ソフトバンクの王貞治球団会長。その王さんに向かって坂東さんは「今日こそ、呼ばせてもらう、王~っ!」と大きな声で呼びかけた。

同学年の2人は50年代の高校野球のヒーロー。早実の王さんは57年の春の甲子園大会の優勝投手。徳島商の坂東さんは、58年に夏の甲子園で準優勝した。

王さんは巨人に入団して、打者に転向して当時の世界記録の868本の本塁打記録、そして国民栄誉賞第1号。坂東さんは中日に入団して11シーズンで435登板、77勝65敗。立派な数字だが、板東さんは「だけど“世界の王”はすごすぎて。同い年だけど呼び捨てになんかできない。でも、今日こそ、呼ばせてもらう、王~っ!」と叫んで、笑顔でガッチリと握手をした。

69年に引退した後は本格的にタレント業に転じた。84年に「金曜日の妻たちへ」シリーズに出演すると、俳優としての評価が高まった。88年には木下恵介監督の「父」で映画主演デビュー。黒澤明監督、降旗康男監督らの巨匠に起用され、健さんとは「あ・うん」「四十七人の刺客」「鉄道員(ぽっぽや)」で共演した。

テレビでは86~24年にTBS「世界・ふしぎ発見!」の解答者、90~99年には日本テレビ「マジカル頭脳パワー」の司会を務め、93年にはNHKテレビ小説「ええにょぼ」に出演。お茶の間の人気者になった。

だが、12年の個人事務所の申告漏れ騒動で芸能活動を休止。吉本興業に所属し、TOKYO MXの番組レギュラーもスタートした14年の暮れにインタビューする機会に恵まれた。日刊スポーツ映画賞授賞式での王さんのプレゼンター登壇を「あれは本当にうれしかった。日刊スポーツは本当にいい会社だと思った」と振り返ってくれた。

申告漏れについても、嫌な顔ひとつせずに説明した。謹慎していた時の喜びとして「その辺のグラウンドで野球をしている子供にまじってやると、うまいってほめられるんよ。子供たちは僕のことをお笑いタレントと思っていて、プロ野球選手だったなんて思ってないから」と笑った。

そして、14年11月に亡くなった健さんについて「もう一度、お会いして一緒に仕事をやりたかった。それだけは残念」と言葉を振り絞っていた。今ごろ、健さんと再会を果たしているのかもしれない。

ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】