3日夜に肺炎のため亡くなった歌舞伎俳優12代目市川団十郎さん(享年66)の長男市川海老蔵(35)が4日朝、都内の団十郎さん宅前で会見し、父の最期の様子を明かした。後ろ盾となる父を突然に失った海老蔵だが、早ければ、七回忌となる19年に13代目団十郎を襲名するプランも浮上しそうだ。密葬は今日、明日と近親者のみで行い、本葬は月末に行う予定という。

 遺体は紋付き羽織はかま姿で自宅のけいこ場に安置され、10年4月の歌舞伎座さよなら公演「助六」で使った脇差しが守り刀として遺体の上に置かれた。海老蔵によると、密葬は5日と6日に近親者のみで行い「本葬は月末に」と明かした。

 この日朝の会見で海老蔵が「突然で驚いています」と話したように、突然の死だった。京都・南座公演中の昨年12月18日に肺炎で休演し、都内の病院に転院。1月の新橋演舞場、3月の舞台「オセロー」を休演、治療に専念した。白血病で抗がん剤治療を受けたため、免疫力が低下し、感染症を併発。1月19日ごろから悪化したという。

 海老蔵

 肺炎や白血病の状況があって、最終的にはそういったことが重なりました。眠りながらの集中的な治療を選択し、体がつらくても、弱音を吐かない。まねできません。(1月は)舞台だったので何回かしか病院に行けず、テレビ電話で話をしました。話せない状況でしたが、珍しく笑顔でした。それが意識のある最後の会話でした。

 3日昼に容体が急変した。海老蔵は千葉・成田山の豆まきから病院に駆けつけ、妹の市川ぼたんも地方の仕事から帰京した。「闘病生活が大変だったので、(父は)解放された表情で、笑顔でした」。3月に出産予定の海老蔵・小林麻央夫妻の第2子は男児と判明し、「父が一番喜んでいた。一緒に舞台に出たかったろうし、抱きたかっただろう。無念だったと思います」と声を詰まらせた。

 団十郎さんは歌舞伎を代表する市川宗家の「市川団十郎」という大名跡を継いだが、その人生は苦難の連続だった。初舞台は通常の御曹司より遅い7歳。父の11代目団十郎さんと母の結婚が認められなかったためで、長男として公に認知されるのも遅かった。新之助時代の19歳の時、父が亡くなった。歌舞伎界で父の不在は後ろ盾がないことを意味し、つらく当たる幹部もいた。いい役につかない日々が続き、「下手くそ」と批判された。しかし、地道な努力を重ね、85年に3億円興行と言われた団十郎襲名で歌舞伎ブームを起こした。

 50代後半から病気との闘いが続いた。04年、海老蔵襲名披露公演中に白血病で入院。05年に再発して再入院した。06年に退院した際は「無間地獄から戻ってきた」と振り返った。その後も造血幹細胞移植、末梢(まっしょう)血自家移植など苦しい治療に耐え、不屈の精神で舞台に帰ってきた。歌舞伎座こけら落とし公演で復帰を目指したが、奇跡はもう起こらなかった。

 ◆市川団十郎(いちかわ・だんじゅうろう)本名・堀越夏雄。1946年(昭21)8月6日、11代目市川団十郎の長男として生まれる。53年10月歌舞伎座で初舞台を踏む。58年5月歌舞伎座「風薫鞍馬彩」の牛若丸で6代目市川新之助を襲名。69年11月歌舞伎座「助六由縁江戸桜」の助六などで10代目市川海老蔵を襲名。85年4~6月歌舞伎座「勧進帳」の弁慶、「助六」の助六で12代目市川団十郎を襲名。日大芸術学部卒。88年に芸術院賞。07年に紫綬褒章受章。長男は11代目市川海老蔵。