「朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけ」。更迭された葉梨康弘前法相の発言は、長く事件取材をしてきた私の中にまだ澱のように残っている。

忘れられない事件がある。大阪府内のマンションの一室で若い夫婦が惨殺された。難航した捜査の末、この部屋の以前の住人が紛失した鍵を使い、オノを凶器にして侵入したMが逮捕された。

数年後、死刑判決の知らせに私は刑事部屋に飛び込んだ。捜査班の班長をはじめ、部屋中に高揚感があふれた。「命は戻らないけど、これで若い夫婦も浮かばれる」「両親は遺影に報告されているやろな」。中にはそっと握手する刑事もいた。

さらに数年後、法廷で「早く死刑に」と訴えていたMの死刑が執行された。法務省担当記者からの一報で、私はまたこの捜査班の部屋に駆け込んだ。だが、その知らせに判決の時と変わって、部屋は水を打ったように静まり返った。

天井を見上げた班長が「そうか、Mは逝ったか」と声を絞り出せば、自供を引き出した古参の刑事が「Mよ、成仏してくれ」と、うめきながらこうべを垂れる。お経を唱えているのか、小さく唇を動かしながら窓の外を見上げる刑事もいた。

私はそこに、被害者の命だけではなく、加害者の命とも向き合う刑事たちの懊悩(おうのう)を見た思いがしたのだった。

同じ警察組織とはいえ、警察庁のキャリア官僚としてエリートコースを駆け上がった前法相は、たとえ1度であっても、こんな刑事たちと同じ空気を吸ったことがあったのだろうか。

こうしてコラムを書きながら私の指は、まだ憤りで小刻みに震えている。

◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび!」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。