双葉町役場を訪れ、「金目」発言について謝罪する、当時環境相の石原伸晃氏(2014年6月23日撮影)
双葉町役場を訪れ、「金目」発言について謝罪する、当時環境相の石原伸晃氏(2014年6月23日撮影)

前回のコラムで取り上げた岸田文雄首相による「お友達人事」。衆院選で落選した石原伸晃・元自民党幹事長の内閣官房参与起用問題は、まさかの展開で終わりを迎えた。石原氏が代表を務める政治団体が、新型コロナウイルス対策の助成金計約60万円を受給していたことが明らかとなり、辞任に追い込まれた。受給行為そのものは違法ではないとされるが、身内の自民党からも実際に受給した判断を疑問視する声が相次ぎ、事実上の更迭となった。

これまで続いた盟友関係もあって、衆院選で議席を失った石原氏を、なんとか「知恵袋」として政治の舞台に引き上げようとした首相は、顔に泥を塗られた格好。お友達人事の弊害が、まさか就任直後に自身を直撃するとは、首相も思ってもみなかったはずだ。

石原氏は、石原慎太郎元東京都知事の長男という立場とは別に、1990年代後半に政策通の「政策新人類」として頭角を現し、閣僚も歴任しながら実力者に上り詰めていった。一方で失言も数多く、お金にまつわる失態も、今回だけではない。

今回の助成金問題の話で思い出したのが、2014年6月、環境大臣時代の「最後は金目」発言だ。東日本大震災に伴い発生した東京電力福島第1原発事故に伴う中間貯蔵施設建設をめぐり、国と、候補地とされた福島県との交渉が難航する中、大臣の立場で「最後は金目でしょ」と発言した。「最後は金で解決する」というニュアンスと受け取られて大きな批判を浴び、福島県議会から抗議文が出る事態に。石原氏は最終的に謝罪し、発言の撤回にも追い込まれた。

当時、福島県に謝罪に出向いた石原氏は、双葉町側との面会の際「決して、お金で解決するという意図で申し上げたのではありません」と、机に頭をこすりつけるように謝罪した。対応した町長らが並んだ部屋の空気の冷たさは、今も覚えている。

石原伸晃氏(2021年10月31日撮影)
石原伸晃氏(2021年10月31日撮影)

今回問題になった助成金は、コロナ禍に伴い、収入減に追い込まれた民間の事業者に対して設定されたもの。石原氏の事務所の受給について、自民党の幹部も含めて「適切ではない」との認識が広がった。「万が一、活動資金が足りなかったとしても、民間の人々の困窮に比べれば、私たち国会議員は恵まれた立場にあるはずだ。政治家として(申請、受給は)考えられない」と、取材に語ってくれた議員もいる。

「金目」発言の当時も今回の助成金受給の話も、根っこはなんだか同じように感じる。痛みを抱える人に対する思いが、石原氏には少し欠けているのではないだろうか。国会議員として責任ある立場にいる自分の発言や対応が、相手にどんな影響を与えるか、頭の片隅にでもそんな思いがあれば、踏みとどまる言葉や行動もあるはずだ。だからこそ今回の問題が表面化した際、「所管官庁に確認した上で、必要な書類を添付して適正に申請し、審査いただいたと承知している」と、悪びれないコメントが事務所から出たことにも、正直驚いた。

参与の辞令交付が12月6日で、辞任が同10日。過去にスキャンダルなどで辞任した内閣官房参与はいたが、こんな超速辞任も珍しい。地道に仕事をしている他の内閣官房参与がいることを考えると、岸田首相の「肝いりお友達人事」(自民党関係者)のスピード破綻は、参与という立場は軽いものではないのかと受け止められかねない事態も招く結果となった。

別の関係者は「お友達人事をするにも、いい相手と、悪い相手がある。今回は選んだ相手が悪すぎた」と、岸田首相の判断を突き放した。そして、衆院議員の職を失い、参与としての活動も自業自得で失った石原氏がこの先、再び浮上するチャンスは、残されているのだろうか。【中山知子】