東京ドームで連日熱戦が繰り広げられたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。日本代表の侍ジャパンは準決勝進出で米国に渡ってしまったが、日本での4試合はいずれも好試合で、永田町でも「昨日試合見た?」「東京ドームで大谷選手が打つのを見てきた」など、いろんな声を聞いた。この間も、放送法の政治的公平に関する総務省の行政文書に関する問題が国会で取り上げられ、当時総務相だった高市早苗経済安全保障相の答弁が問題になっているが、政治の話題もどこか、WBCのニュースに隠れてしまっているような気がしている。

岸田文雄首相の動向も、同じようにWBCに隠れていたように思うが、久しぶりに大きな話題になったのが、WBC準々決勝当日の3月16日に日本を訪れた韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領との会談や夕食会。首相は大統領夫妻を東京・銀座の日本料理店「吉澤」に招いてすき焼きを振る舞った後、大統領の「思い出の味」というオムライスを食べに老舗洋食店の「煉瓦亭」へ。とんかつなどもつまみ、酒豪同士、ビールや焼酎を飲みながら、信頼関係構築への時間を過ごしたという。

オムライスは、日本国民になじみのメニュー。そのグルメが、外交の舞台で鍵を握るツールになった。仕立てたのは首相サイドの“演出”にほかならない。

外国の首脳が来日した際、全員が特別な夕食会を用意されるわけではない。首相主催の夕食会は、首相が暮らす公邸で行われることが多く、尹氏と入れ替わりで来日したドイツのショルツ首相との18日の夕食会は、公邸だった。

一方、米国大統領などの来日では、今回のように時の首相が趣向を凝らした夕食会を演出する場合がある。岸田首相にとって今回は、国際会議を除けば12年ぶりの韓国大統領の来日で、いろいろ心を砕く必要があった。関係者によると、オムライスもすき焼きも大統領の好物だということを受けた、首相サイドの「おもてなし」だという。

相手との距離を縮める時に「胃袋をつかむ」ことは、外交の舞台でも重視される。これまでにも、時の首相と外国首脳との夕食会では、話題になったものも多い(肩書は当時)。

小泉純一郎首相は2002年2月、来日中だったブッシュ大統領夫妻を、東京・西麻布の和風レストラン「権八」に招いた。米大使館員の行きつけという側面もあったが、「日本の若者文化に触れたい」という大統領の希望で、吹き抜け状の2階フロアから、2人が1階の客にあいさつする場面も。小泉氏はビール、ブッシュ氏はノンアルコールビールを頼み、焼き鳥や天ぷらの盛り合わせなどの居酒屋メニューに舌鼓を打った。

安倍晋三首相は、2014年4月に来日したオバマ大統領との夕食会を、東京・銀座の高級すし店「すきやばし次郎」で実施。海外でも知られたすし職人小野二郎さんの店で、マグロやコハダなどを食べたオバマ氏は「人生でいちばんおいしかった」と語った。盟友だったトランプ大統領とは、2017年11月の初来日時にミシュラン1つ星の高級鉄板料理店を招いて但馬牛のステーキなどを食べ、2019年5月には、大相撲夏場所観戦後、来日するハリウッドスターもひいきの六本木の高級炉端焼きを訪れ、和牛ステーキなどがふるまわれた。

首脳同士の親睦を深め合うことに加えて、必要なのは「見せ方」だと、永田町関係者は話す。夕食会は、時の首相の食への関心度、または「グルメセンス」がのぞく場でもあるのだ。

ちなみに岸田首相の店選びについて、自民党関係者は「極めてオーソドックス」と話す。昨年5月のバイデン米大統領来日時は、日本庭園や茶室が有名な東京・白金台の八芳園に招き、着物姿の裕子夫人がお茶をたて、夕食はホテル内の料亭という「王道コース」だった。そんな首相にとって、庶民的な洋食メニューの力を借りた「オムライス外交」は、「ある意味、チャレンジだったのではないか」と話す声も聞いた。

内閣広報室が公開した両首脳の写真で、2人は満面の笑みで向き合っていた。写真を見る限りでは、いい雰囲気の夕食会だったのだと思う。一方で、何を食べたか、ではなく、何を話したか、が鍵になる外交の舞台での夕食会。すき焼きとオムライスは、「外交の岸田」を自負する首相のラッキーカードになったのか。答えは今後、出てくるはずだ。【中山知子】

WBC韓国戦で始球式を終え栗山監督(左)と握手を交わす岸田首相(2023年3月10日撮影)
WBC韓国戦で始球式を終え栗山監督(左)と握手を交わす岸田首相(2023年3月10日撮影)