安倍政権が今国会で最重要法案と位置づける「働き方改革」関連法案が25日、衆院厚生労働委員会で自民、公明両党と日本維新の会の賛成多数で可決された。野党が激しく抗議する中で、与党は採決を強行。過労死で家族を亡くした人たちは「過労死を助長する」と批判を強めている。過労死した家族の人たちはどんな思いでこの法案を受け止めているのか。なぜ反対するのか。

 鋭い視点で斬り込むMBSテレビのドキュメンタリーシリーズ「映像’18」。今回は「職場で死なせない~過労死家族の終わらぬ闘い~」と題したドキュメンタリーを27日深夜0時50分(関西ローカル)から放送する。

 名古屋市の住む内野博子さん(48)は夫を過労死で亡くした。02年2月9日の早朝、正社員としてトヨタ自動車の堤工場(愛知県豊田市)に勤めていた夫の健一さん(当時30歳)が夜勤残業中に突然倒れ、急死した。

 内野さんは「徐々に帰宅時間が遅くなっていた。(夫が倒れた)連絡の瞬間に過労と思った」。一家の大黒柱を失い「明日からどうしよう…」。3歳の長女、1歳の長男を抱えて途方に暮れた。

 長時間労働が原因での過労死…。ところが夫の過労死が認められるまで約6年も闘わなければいけなかった。内野さんは夫が帰宅前に自宅にかけた携帯電話の通話記録を取り寄せた。夫の過労を心配してカレンダーに休日出勤した日を記録していた。

 記録からは亡くなる直前の1カ月の残業時間は144時間35分。会社側とのやりとりの結果、114時間2分。過労死ラインを超えていた。豊田労働基準監督署に労災認定を申請した。

 当時は工場にはタイムカードがなく、豊田労働基準監督署は「(健一さんが)会社にいた事実は確認できても、明らかに時間外労働とは認められない」と52時間50分しか「残業」を認めず、申請を退けた。内野さんは当時を振り返って「まさか認められないはずがないと…。あんなに一生懸命にやっていた。本人はまじめにやっていただけなのに…。夫に申し訳ないと思った」。

 05年4月、決定の取り消しを求め、名古屋地裁に提訴した。07年11月、名古屋地裁は過労死だったと認め、療養補償給付金、遺族補償年金などを不支給とした豊田労働基準監督署の処分を取り消す判決を出した。

 内野さんは派遣社員として働き、幼い2人の子供を育てながら闘った。「やっと認められたよ。ちょっと長くかかってごめんなさい」。夫がまじめに働いてきたことを認めてほしい-。その一心からだった。

 夫の過労死が認められて11年。内野さんは昨年「名古屋過労死を考える家族の会」の代表に就任した。

「私も支援してもらった。1度はやらないといけない」。内野さんの闘いは続いている。

 今年2月、働き方改革実現会議で、安倍首相から時間外労働の上限規制のあり方について、労使で胸襟を開いた責任ある議論を行うよう要請があった。これを受け、経団連と連合は連日協議を重ね、休日労働を含む単月は100時間を基準値とするなどの内容を確認した。

 内野さんは「休日労働を含んで単月は100時間を基準値とするとあった。100時間は過労死認定基準で亡くなる1カ月前の残業時間が100時間以上の場合は過労死、過労死ラインの時間と同じ。上限を100時間にするのは法律で過労死を認めるここと同じことです」と訴える。

 「働き方改革」関連法案で新たに創設される「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」は年間104日の休日取得など一定の健康確保措置が義務付けられているが、月単位で150時間といった残業も可能だ。安倍政権は「働き方改革」を旗印にこの70年間、なしえなかった労働基準法の大改革をしようとしているが、過労死を招くとの批判がある。

 内野さんは働き方改革関連法案に反対する集会や街頭演説にも参加する。「過労死した遺族が……」。番組の最後に内野さんが声をつまらせながら伝える言葉は重い。

 計2年間、密着した奥田雅治プロデューサー(55)は「実際に過労死でご家族を亡くされた方の視点からみた『働き方改革』はどうなのか。そこを切り口に番組を作りました。人ごとではなく、もしかしたら自分もという問題意識を持ってみていただければ」と話した。

 16年度に民間企業の従業員が過労死、過労自殺で労災申請したのは2411件、そのうち758件が労災と認められた。長時間労働で亡くなる人は増えている。