1993年(平5)、日本中が新しい物語の誕生に沸いた。皇太子さまとハーバード大卒の外交官という最高のキャリアを持つ小和田(おわだ)雅子さんの結婚。一時は白紙に戻りながら、皇太子さまは86年の出会い以来の思いを貫き、小和田さんは皇太子妃への道を決断した。

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ハーバード大卒の外交官というキャリアとすらりとした美しい容姿。新しい時代にふさわしいお妃(きさき)の誕生に、エルメスのスカーフが流行し、「世界の潮流に反し、日本だけが(エレガントな)コンサバになった」とファッション業界で言われたのが1993年でした。すごいブームでしたね。

国民の期待が大きすぎて、風邪で公務を休まれても「ご懐妊では」と騒がれた。皇太子妃の避けられない道ではありますが、大変な重圧だったと思います。不幸にもベルギー訪問の後、流産された。(妊婦の行動とは関係のない)稽留流産だったにもかかわらず、「寒い中、冬のベルギーに」と言われ、二重にかわいそうでした。愛子さまをお産みになっても、男系男子と定めた今の皇室典範では何も変わらない。重圧に何の変化がないことが、心を崩されていく一番の要因だったと思います。

皇太子さまの「人格否定発言」以降、両陛下と東宮の距離が取りざたされました。2012年春から天皇陛下、皇太子さま、秋篠宮さまが月1回、意見交換されるようになり、皇室のあり方、公務の分担などを話し合われる中で、雅子さまの療養についても理解が広がった。体調に合わせ、できる範囲で公務に出席することについて両陛下もご理解されているという気持ちが雅子さまを楽にし、回復につながっていると思います。

天皇陛下が皇后さまとともに全国を訪問されるスタイルは平成になって定着しました。両陛下は全都道府県を2周されましたが、新天皇、新皇后となるおふたりも各都道府県を必ず1度は訪ね、国民との触れ合いを大切にしたいとお考えになっているんじゃないかと思います。ご体調に合わせ、3大行幸啓(全国植樹祭、国体、全国豊かな海づくり大会)などを通して国民と交流していただければと願っています。(皇室ジャーナリスト 近重幸哉氏)