日本の台所と呼ばれた築地市場(東京都中央区)が6日正午、83年の歴史に幕を閉じた。関東大震災の被災を契機に、日本橋魚河岸から1935年(昭10)に築地に移転。そのバトンは今月11日から豊洲新市場(江東区)に引き継がれる。土壌汚染問題に揺れた豊洲市場への移転は、小池百合子知事の決断によって延期され「移転派」「反対派」という分断も起きたが、当初の予定より約2年遅れで開業する。

築地ブランドを支えてきた目利きの技は最終日も淡々と、魚に注がれた。マグロの尾びれ付近の輪切り身を懐中電灯で照らし、見つめる。手鉤(てかぎ)と呼ばれるクワのような金具で冷凍マグロの身を少しだけ削り出し、指でつまむ。品質チェックはマグロ1本ごとにわずか数秒だ。

ジリリリリリリ-。午前6時、鈴が鳴ると競り場は活気にあふれた。冷凍マグロ卸売場にはところ狭しと、200人近い仲卸業者らが、競り人の大きな呼び上げ声に、値段を指で示す「手やり」で応じた。

最後の一番マグロは162・4キロの青森県大間産で438万5000円(1キロ当たり2万7000円)で競り落とされた。値段は通常並みで関係者は「豊洲開場日の方がご祝儀価格が出るんじゃない」と笑った。

「築地市場協会」の伊藤裕康会長は、2年間の移転延期について「みんな目標を見失い、長かった。(土壌汚染の)データが出たり、盛り土がされてないことも分かるなど、いろいろなことがあった」と話すも、「築地は戦争もくぐり抜けた、本日まで無事に来られた。胸がいっぱい」と感慨深げに語った。

築地市場は11日から20年2月までの予定で解体工事を行い、跡地は東京オリンピック(五輪)の車両基地となる。都はその後、築地ブランドを守る、再開発計画を検討中だ。築地市場に隣接し、約460店舗がひしめく商店街「築地場外市場」は、市場移転後も現在地で営業する。

築地市場駅で電車を降りると地下にもかかわらず、生魚のにおいを感じた。そんな「築地らしさ」は、この日を境に消えていく。【三須一紀】