危機管理の第一人者でコメンテーターとしてもおなじみだった初代内閣安全保障室長の佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏が10日午前2時40分、老衰のため東京都内の病院で死去した。87歳。

佐々氏は厳冬期の立山越えで知られる戦国武将・佐々成政の末裔(まつえい)で、東大法学部卒業後の1954年(昭29)、国家地方警察本部(現警察庁)に入庁。警備、公安畑を歩み、69年の東大安田講堂事件、72年のあさま山荘事件、75年のひめゆりの塔事件など学生運動や過激派事件で指揮を執った。

旧防衛施設庁長官などを歴任した後、86年に初代内閣安全保障室長に就任し、中曽根、竹下、宇野の3内閣で室長を務めた。89年、昭和天皇の大喪の礼を最後に退官した後は個人事務所を開き、コメンテーターとして95年の地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件、96年の在ペルー日本大使公邸占拠事件など大事件を解説した。

警察庁時代の上司は元官房長官の故後藤田正晴氏。あさま山荘事件は当時、警察庁長官だった後藤田氏の指示で、現地で指揮に当たった。02年の映画「突入せよ!あさま山荘事件」では、後藤田氏役を故藤田まことさん、佐々氏役を役所広司が務めている。

石原慎太郎元東京都知事との交友も長く、07年の都知事選では石原陣営の選対本部長を務めた。豪華出張や公私混同問題で石原氏批判が高まる中での選挙戦だったが、佐々氏は「反省しろよ慎太郎、だけどやっぱり慎太郎」のコピーを考案。浅野史郎氏、黒川紀章氏らを一蹴し、3選を果たした。

著書は「危機管理のノウハウ」「わが上司 後藤田正晴」「連合赤軍『あさま山荘』事件」「私を通りすぎた政治家たち」など多数。実姉は参院議員を務めた故紀平悌子さん。