内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放され、帰国したジャーナリスト安田純平さん(44)が2日午前、東京都千代田区の日本記者クラブで、帰国後、初めて記者会見を開いた。

安田さんは、拘束した組織側から16年7月に「ジャバル・ザウイーヤ」の巨大収容施設に移された後、「身動きはしてはいけない」など過酷な条件がついた“身動きできないゲーム”を科されたと明かした。また身動きができないことがあまりにつらく「イスラム教徒になれば5回、礼拝できる。体を動かさないので、きついので、何とかして条件緩和をしようとやっていた」と、動ける回数を5回に増やすためにイスラム教に改宗したとも語った。

安田さんは“身動きできないゲーム”について「1・5メートルの範囲の中にいなければいけない。ひざを曲げた、くの字の状態。幅は1メートルしかなく、身動きできない。寝っ転がった状態で、指が動かないようにずっとしている」と説明。「ドアには小窓があって、上、横のすき間から中が見える。50センチくらいの範囲をカメラでずっと(撮っている)。ドアに50センチ以上、近づいてはいけないルールが出来た。足が映ってもダメ」と振り返った。その上で「始まったのは8月アタマから。だんだんエスカレートして10、11月から身動きが取れなくなり、水浴びも一切なし」という。

「彼ら(組織の人間)がしゃべった後に音を鳴らしても、話を盗み聞きするためだと電気を消され、見せしめの(ために他の囚人に行う)拷問もあった。鼻炎の音がすると、それもふざけていると言われた」。他にも「トイレの水を流す時、頭が痛いくらいの音を出す嫌がらせをしてきた」「(自分以外に監禁、拘束されている)囚人がしゃべっている時、身動きしてもダメ。身動きできるのは食事を持ってきたタイミングだけ」「つばをはくのもダメ。彼らが物音を立てている時に1分以内に動かなければいいが…だからコップにつばをはいていたが、それもダメ。私自身が聞こえないような音まで聞いている…不気味な状態になった」などいくつものルールを科されたり、嫌がらせを受けたと語った。

そんな日々の中「(身動きが取れないのは)どう考えても不可能だと分かり、『もう飯を食わない。食わなければ動かなくなって、求めている一切動かないことができる。できれば出せよ』と言いました」と、組織の人間にハンガーストライキを訴え、実行したと明かした。

ただハンガーストライキ中は「寝ている間に体が動くのもダメで結局、20日間、絶食状態になり(体が)骨と皮になった。脱水症状になって肌がかさかさになって、つかむと戻らなくなった。礼拝の際、立っただけで圧迫され吐き気がする。立ちくらみでクラクラした」と、尋常ではない体調不良に見舞われたと吐露した。

20日が経過した18年3月29日に、組織の代表者の部屋に入れられ「20日くらいのうちに日本に帰すから食え。(部屋にいた)ウイグル人と帰す。変更はないから飯を食え」とハンガーストライキの中止を要請され、さらにそれから20日後、別の施設に移されたという。そこはトルキスタン部隊の施設でロの字型で平屋だったという。「真ん中が中庭になっている。窓も内側についている。2日間たったら良い場所に移されると言われ、解放が近いと思い、水浴びした」などと語った。【村上幸将】