経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家・経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち)さん(本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)が8日午後8時19分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。83歳。大阪市出身。

堺屋さんは「団塊の世代」の名付け親で作家、経済評論家、イベントなど幅広い分野で活躍した。30年前の平成元年には工業社会の終焉(しゅうえん)と情報化社会の到来を予言した。「統計の虫」「読書の虫」。徹底したこだわりが類いまれな「先見の明」の源泉だった。

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時代を切り取り、先取った。そのテーマやキャッチフレーズは時代を、将来を的確に映し出した。「油断」は石油輸入を断たれる危機、「団塊の世代」は第1次ベビーブーマーの未来、「知価革命」は情報化社会の到来を予見した。

その発想の原点は今、厚労省の不正問題で注目される「統計」。18年間の通産省(現経産省)官僚時代はひまさえあれば数字をながめ、データのプロを自認した。縁遠いもの同士を結び合わせ、作品でも経済論文でもイベントでも意表を突くアイデアを披露した。

読書の虫だった。トイレでもフロでも書物を手放さず、36歳でやめたゴルフの最中も本を開いた。歴史小説では文献の山に埋もれず、市井の歴史家を募り、スタッフにする合理的な考えをした。

「堺屋」は代々の屋号。98年7月、小渕恵三内閣の目玉として経済企画庁長官に抜てきされた際、「ペンネームを使用したい」で通した。閣僚が国会で通称名を使用するのは初。野党からも異論はなかった。とことん流儀にこだわった。

唯一無二の理解者は画家の史子夫人だった。執筆中の作品、企画であっても夫人の批評や指摘に対して耳を傾け、手直しした。

◆堺屋太一(さかいや・たいち) 本名池口小太郎。1935年(昭和10年)7月13日、大阪府生まれ。東大経済学部を卒業後、通産省(現経済産業省)に入省し、78年退官。執筆、講演活動を行う。98年7月から00年12月まで小渕内閣、森内閣で経済企画庁長官。13年安倍内閣で内閣官房参与。著書は「団塊の世代」「峠の群像」など多数。12年旭日大綬章受章。