昨年10月に南関東競馬でデビューした網走市出身のルーキー七夕裕次郎騎手(20=浦和・平山厩舎)が、21年の飛躍を誓った。インパクトのある名前は、昭和の名優、石原裕次郎の大ファンだった亡き祖母の命名。「名は体を表す」とばかりに、競馬界のスターを目指していく。【取材・構成=奥村晶治】

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勝負服がひと際目を引く。黒地に緑の模様。人気漫画「鬼滅の刃」の主人公を連想させる。デビューから約2カ月。6日は5レースに騎乗し、最高は7着も奮闘の毎日だ。昨年10月19日の浦和競馬第1Rで初騎乗初勝利。勝負服のようにデビューも鮮烈だった。

七夕 (勝負服は)話題になるだろうなとは思っていました。でも、漫画や映画のことを知らない時にデザインしたもの。たまたまです。デビュー戦はまさか勝てるとは思っていなかった。緊張していて、あれっ、勝っちゃったという感じ。馬が強くて馬に助けてもらいました。

地方競馬全国協会によると、記録が残っている73年以降、住所、本籍地が網走市で登録されている平地の騎手はいない。七夕は自然豊かなオホーツク育ち。冬は流氷で遊び、夏は山遊びで基礎体力を培った。

七夕 家が海岸沿いなので流氷が接岸するとギシギシと音が聞こえ、よく流氷の上で遊んでいました。でも山の方が好きで、よくキノコ狩りに行っていました。毒キノコを見て楽しむのが好きだったんです。

騎手を目指したのは、側彎(そくわん)症で通院していた中学2年の時、医師から「もう成長が止まっていて背が伸びないかもしれない。体の小ささを生かして騎手をやってみないか」と勧められた。医師は馬主でもあった。競馬はまったく未知の世界だったが、中学卒業後、牧場で厩務員として約2年間働きながら、騎手への道を切り開いた。

七夕 生まれた時は700グラムしかない未熟児で、病気はその影響もあったと思う。ショックでした。でもスポーツが好きだったし、何より負けず嫌いで、諦めたくなかった。まだ筋力が足りないので、トレーニングは欠かせません。

名前の裕次郎は2年前に他界した祖母順子さんが命名した。祖父母の家に行くと石原裕次郎のグッズがたくさんあった。名字の七夕も、地元の親戚以外では会ったことがない。

七夕 名前負けしないように、まずは優秀新人騎手賞、いずれは重賞を勝てるジョッキーになっていきたい。

◆七夕裕次郎(たなばた・ゆうじろう)2000年(平12)10月4日、網走市生まれ。網走第三中卒。地方競馬教養センター第100期騎手課程修了。南関東浦和・平山真希厩舎所属。20年10月1日付けで免許交付。同19日にデビューし、コスモオーブで初騎乗初勝利。通算86戦4勝(6日現在)。家族は両親と弟。151センチ、46キロ。

◆主な道内出身騎手 地方ではコスモバルクとのコンビで06年シンガポール航空国際C(国際G1)を制したホッカイドウ競馬所属の五十嵐冬樹が深川市出身。08年ジャパンCでシンボリルドルフの2着好走したロッキータイガーの主戦、桑島孝春は浦河町出身。南関東・船橋所属で通算4713勝を挙げた。JRAの現役では田中勝春(新ひだか町)丸田恭介(旭川市)らが活躍している。