震災による津波で孤立した宮城県気仙沼市の離島・大島で、震災直後に島民の唯一の足として活躍した小型船「ひまわり」。船長の菅原進さん(78)を中心に、記念館を作り、震災遺構として保存する活動が行われている。

昨年8月に海から離れ、菅原さんの自宅に隣接する私有地に移して約半年。大工仕事が得意だという菅原さん自身が階段と手すりを設置し、訪れた人たちが「ひまわり」と直接、触れ合うことができるようになった。ただ、コロナ禍で人の移動が制限されている影響もあり、訪れる人の少ないのが現状だ。「2月下旬も団体の人が20人くらいで来ると言っていたがキャンセルになった」と菅原さん。だが、人数は少なくても、子どもたちが訪問した際は、菅原さんの話には自然と熱がこもる。「震災のことを風化させてはいけない。特に子どもたちには『ひまわり』から、震災があったことだけではなくて、命を大切にすることも学んでほしい」と訴える。

昨年末で終了したクラウドファンディングには約70万円が集まった。これを元手に私有地の隅にあり、現在使っていない建物を改造して、「ひまわり」のパネルを展示する計画をしている。「もう1度、募金を集めることも検討している。そして、年内には『ひまわり』に屋根を付けたい」。

菅原さんは、東京五輪・パラリンピックの聖火リレーの走者に選ばれている。「自分が走ることで『被災地の今』を世界中の人に見てもらいたい」。現在は1日おきに3キロを走るトレーニングを実施。「聖火のトーチは長さが60センチで重さが1・5キロ。同じくらいの重さのハンマーを持って走るのと普通に走るのを、交互にしている」と準備にも余念がない。

「ひまわり」の運航終了とともに、40年以上の船長生活に幕を閉じた菅原さん。現在は記念館を訪れた人に説明をしたり、体験を語る講演会を各地で行うなど、「震災の語り部」として第2の人生を歩んでいる。【松本久】