男女の社会的性差などを指す「ジェンダー問題」について、日刊スポーツでは前後編に分けて識者に聞いた。

 

後編は、サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」で長期政権を築いた経験を持つ佐々木則夫前監督(62=現J2大宮トータルアドバイザー兼ベントス総監督)。男子監督と女子選手との良好な関係性を築き、11年女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会初優勝などを果たした。自身の本性をさらけだしながら相互理解を深め、なでしこメンバーの団結力をさらに強めた。【取材・構成=鎌田直秀】

 

佐々木氏の答えは明確だった。「自分自身が鎧(よろい)を着ないこと。男女問わずだとは思いますが、男性と女性が理解しあえるには、自分を相手に知ってもらえるかどうかが一番大事になってくると思っています」。

なでしこジャパンを中心に女子選手とも長く関わってきた経験から痛感したことでもあった。「06年にコーチになった時には監督と選手をつなぐ役目になろうと思って『コーチ』じゃなく『ノリさん』って呼んでもらった。監督になっても継続した。時にはジョークを交えたり、自分をさらけだすことで考えが理解された部分もあったのかなあ」。立場に関係なく互いの理解を深めたことでジェンダーの問題も越えることが出来たと考えている。

サッカー選手として就職した日本電信電話公社(現NTT)の配属先に原点があった。女性社員が8割だった料金事務の部署だった。「最初は女性が多い職場に戸惑いもあった。こっちが良かれと思って容姿のことに触れたり、落ち込んでいるのを慰めたりして怒られた失敗もあった」。

サッカー部で活躍する娘の練習にも顔を出し始めた頃に届いたのが、なでしこのオファー。「娘に『みんなの評判が良かったよ』って言われて、背中を押された」。女子サッカー界での指導が始まった。

なでしこの監督として実感したことは、なでしこ選手が団結した時の力強さだった。合宿中にケガで離脱者が出たことがあった。「私は本人にはしっかりと話をしてからチームに帰したつもりだったんですよ」。離脱した選手を送るホテル玄関に、監督の姿がなかったことに対する、ある選手からの強い口調が今でも心に残っている。「ノリさんダメですよ。監督は冷たいってみんなに誤解されますよ」。

優勝した11年W杯ドイツ大会前だった。「ダメ」の言葉が染みていた。ミーティングに1人の選手が遅刻した。一瞬、その選手を叱ろうと思ったが、やめた。こう、全員に説いた。「みんなに『そろったか?』って聞いたよね。彼女よりも、気が付かなかった君たちもどうなのかな?」。このチームには個人にではなく、全員に向けた発信が最も効果的だと考えての一言。少し語気は強かったが、あらためてチームが1つになれたと感じた。失敗しながらも相手を知ろうとし続けた結果の判断だった。

信頼関係を築くうち、キャリアの悩みなど個人的な相談に訪れる選手も増えた。密室を作ることによる誤解を避けるため、合宿中の監督室は必ずドアを開けたままにするなど、気をつけたことも多い。副産物として、常に選手らが対話に訪れやすい環境になった。誕生日会もチームで盛大に行った。すべてはお互いのことをよく知るためだった。

今年9月、新たな女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」が開幕する。佐々木氏も大宮アルディージャベントス総監督として、5年ぶりに現場復帰。大野忍が女性はまだ少ないコーチとしてチーム入り。鮫島彩や阪口夢穂らは選手として、なでしこで一緒に戦ったメンバーもベントスに移籍し、集結した。リーグ設立準備室長としても携わってきた同氏。リーグには、女性の社会進出の促進ため、クラブのスタッフや役職員にも女性の積極起用を求めている。クラブ運営法人の役職員の50%以上を女性にすること、最低1人は女性役員の登用義務化などもある。「女性の活性化の力に。そして女子サッカーのフェアさや人間性を各クラブやファンのみなさんにも共有してほしい。女性のパワーは男性にも影響すると感じています」。

◆佐々木則夫(ささき・のりお)1958年(昭33)5月24日生まれ、山形県尾花沢市出身。東京・帝京高で全国総体優勝、選手権4強。明大を経て電電関東(現大宮)でプレー。91年に現役引退後、NTT関東監督やJ1大宮強化育成部長、ユース監督を歴任。06年なでしこジャパンのコーチとなり、07年12月に監督就任。11年国民栄誉賞。12年FIFA女子最優秀監督賞受賞。16年から十文字学園女子大副学長、びわこ成蹊スポーツ大特別招聘(しょうへい)教授。同11月からは大宮トータルアドバイザーとなり、21年1月からベントス総監督を兼任。19年日本サッカー殿堂入り。家族は妻と1女。