オールドファンにとってはプロ野球ドラフト会議の会場として知られた東京・九段下のホテルグランドパレスが6月末で営業を終了する。コロナ禍で宿泊客の半数を占める外国人観光客が消失。修学旅行など国内の団体客も激減し、売り上げが7割も減少する「過去に類を見ない経営環境」が原因だ。ドラフトで1位指名を3度も受けた江川卓さん(65)にグランドパレスの思い出を聞いた。【玉置肇、中嶋文明】

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グランドパレスは1976~88年と96年の計14回、ドラフト会場となった。4球団から指名された東海大の原辰徳内野手を巨人の藤田元司新監督が引き当てた80年、6球団が競合したPL学園の清原和博内野手の交渉権を西武が獲得する一方、進学希望の桑田真澄投手を巨人が指名した85年など多くのドラマが生まれたが、最大の事件は江川さんだった。

77年のドラフトは予備抽選で指名順が決まる変則ウエーバー制だった。抽選で1番はクラウンライター、2番が巨人。川崎市の法大野球部合宿所でテレビ中継を見た江川さんは「ドラフト前に巨人を『逆指名』したこともあり、巨人だろうと思っていたら、クラウンが先に指名。『なぜ?』と思うばかりで、会場のことまで気が回らなかった」と振り返る。「九州は遠い」と入団を拒否した江川さんは米国に留学した。

翌78年は入札方式だったが、ドラフト前日の「空白の1日」に巨人は江川さんと契約。契約無効の裁定が下ると、巨人は反発し、ドラフトをボイコットした。11球団で行われたドラフトで4球団が江川さんを指名し、阪神が交渉権を獲得したが、「江川事件」と呼ばれる球界を揺るがす大事件となり、小林繁投手とのトレード、金子鋭コミッショナーの辞任に発展した。江川さんは「78年は騒ぎの渦中にいてテレビを見る余裕などなおさらなかった」と苦笑する。

江川さんは「グランドパレスは私と最も相性の合わない場所と映るかもしれません。しかし、私の現役時、巨人は日本シリーズの期間になると、グランドパレスで合宿を行っていました。81年は同じ後楽園球場を本拠とする日本ハムが相手。3勝2敗で迎えた第6戦、日本一を決める最後のアウトは私がフライを捕り、完投勝利とともに胴上げ投手になることができました。最も素晴らしい記憶を残してくれた場所がグランドパレスなんです」と話していた。

◆ホテルグランドパレス 皇居前のパレスホテルの姉妹ホテルとして1972年開業。地上24階、地下5階建て。458室。73年8月、韓国の民主政治家・金大中氏が部屋から出たところを韓国中央情報部(KCIA)に拉致される「金大中事件」の舞台となった。80年に巨人監督を解任され、12年間の浪人生活を送った長嶋茂雄氏は92年10月、監督復帰会見を行っている。ボクシング世界戦の調印式、検診、計量、記者会見場としてもおなじみ。