東日本大震災が「イカ王子」を誕生させた。正体は岩手県宮古市で水産物加工会社「共和水産」の代表取締役専務を務める鈴木良太さん(40)だ。

仙台のダイニングバー勤務から05年に2代目継承のために帰郷。水産業を「ダサい」と思いながら平々凡々な生活が続いていたが、「3・11」を契機に、地元盛り上げのために“スミ”ではなく気を吐いた。創業当時からの主力商品だった「いかそうめん」などの味の追求だけでなく、戦略と発信力を武器に、王冠を付けた王子は水産業界の“王様”へと突き進む。

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パフォーマンスも強みの1つ。でもそれだけではない。「最初は業界から笑われていたけれど、王冠をかぶってきて良かった。11年間、イカ王子としてやった人しか言えないですよ」。納豆の小分け売りからヒントを得て、「いかそうめん」を食べきりサイズの紙パックで冷凍販売するなど、豊かな創造力で軌道に乗せた。

震災時は宮古市内の会社や工場が無事だったが、大槌町の倉庫に保管していた製品や原材料が津波で流され、1億3000万円の借金を背負った。被災後、宮古の同業ベテラン社長たちから聞こえてきたのは「宮古は水産の町」「水産に付加価値を」の声。それまでは「フラフラしていた」が、宮古の水産業に携わる若手として、自分が故郷の再建を担うべき立場にいることに気がついた。「オレがド真ん中にいるじゃん。自分に出来ることはこれだと思えた。つまらなく仕事をしていた男が午後2時46分の出来事で、すべてが変わった」。

まずはブログを立ち上げ、「イカ王子」と名乗って発信した。本名で書き込むよりもアクセス数が多いことに快感も覚えた。「恥ずかしいし、バカだけど面白い。これがオレのマーケティング方法だと思った」。トレードマークの王冠とTシャツやトレーナーを持参して各地に出向き、子どもたちにも魚を薦めた。「将来、故郷を離れてどこかで魚を食べた時に『やっぱりイカ王子の魚がおいしい』と思ってくれたら、将来にもつながる」。都内でのマダラ販売イベントで、軽快なトークを同業者から「DJ魚屋」とからかわれても、自分の方法を貫いた。

戦略も光った。「冷凍でお客さんに届けるシステムが一番構築されているのはどこかと考えた」。ネット注文社会が加速するとの予測から、取引先の約75%を生活協同組合の全国ネット販売に絞った。12年からは地元の水産業の若手で「宮古チーム漁火(いさりび)」を結成し、各社の強みを生かして共存。イカ王子がイベントでも先頭に立ち、昨年からは、ネット通販サイト「港の百貨店」もオープンした。コロナ禍でも売り上げは減少せず、「王子のぜいたく至福のタラフライ」は大ヒット商品となっている。宮古市内の外食チェーン「大戸屋」では、同商品を使ってコラボした「ざっくり真ダラのフライ定食」も人気だ。

日本全国だけでなく「世界にも届けたい」と全力で走ってきた。四十路(よそじ)を迎え、王子なのに疲れやすく、動きもにぶくなり、顔のしみも増えた。近年は、イカ、サケ、サンマなどの漁獲量が激減。再び、踏ん張り時を迎え、新しい取組も検討している。大学生らとも連係した「宮古の水産をバズらせろ」がテーマのユーチューブも開始し、「カメラを回して漁に出るのもおもしろいかも」。イカ王子が店頭に立ってイカを売る小売店販売も興味を抱いている。これまでは通販が主軸だったが「岩手の内陸の人にも喜んでもらいたい」。あらためて、県内での販路開拓に挑戦していくつもりだ。【鎌田直秀】

◆鈴木良太(すずき・りょうた)1981年(昭56)11月8日生まれ、岩手県宮古市出身。中高とソフトテニスに熱中し、日焼けして丸刈りだった当時はイカというよりタコ王子。宮古工時代に県大会3位の実績があり、スポーツ推薦で仙台の大学に進学。中退後は仙台の繁華街国分町でダイニングバーに勤務。05年に家業を継ぐために、しぶしぶ帰郷。趣味は塩辛づくりなどの料理、格闘技観戦。家族は両親と兄2、弟1。