東京・銀座8丁目のヘンテコな形の建物「中銀(なかぎん)カプセルタワー」が12日から解体工事が始まる。

日本を代表する建築家黒川紀章さん(故人)の代表作でサイコロの「1」が重なりあったようなデザインの分譲マンション。部屋1つひとつを取り替えることができるというメタボリズム(新陳代謝の意味)をテーマとしているが、竣工から50年が経過していた。居住者は3月13日で完全退去しており、解体後に世界各地で展示される計画が進んでいる。

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銀座8丁目に沿って走る東京高速道路沿いにグレーのでこぼこしたブロックおもちゃを重ねあわせたような建物-中銀カプセルタワービル、12日から解体工事がスタートする。建物周囲には白い防護フェンスが張り巡らされていて、内部に侵入することはできない。140室あるが最後の住民が3月13日に退去しており、今月5日が竣工(しゅんこう)からちょうど50年だった。

1972年に世界的建築家の黒川紀章さんが設計した分譲マンションで、部屋を25年周期で入れ替えて新しいものに交換するという建物の新陳代謝をテーマとして、メタボリズムの象徴として人気を博した。

生活に必要な冷蔵庫や照明、エアコン、ステレオセット、カラーテレビ、電話はすべて壁に埋め込まれている真四角な間取り。外食をして洗濯物はビルのコンシュルジュに依頼するシステムだったためキッチンと洗濯機のスペースはなかった。

実際に住人だった「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」の前田達之代表は同ビルの真横のマンションに事務所を構え、解体されていく様子を記録している。「住んでみないことにはこの建物の魅力は分からないかもしれない」と話し「コロナ禍で巣ごもりすることになるなんて黒川さんは考えていなかっただろうけど、今の世の中に合致したおひとりさまサイズであるとは思う」と前田さんは話す。

黒川さんは07年、突如として4月の都知事選に出馬し落選、さらに7月の参院選では無駄のない再生を実行する社会を標榜(ひょうぼう)し共生新党を結党して打って出た。10月に73歳で亡くなる直前まで中銀カプセルタワービルの存続について気にしていたという。

ビルから切り離して部屋を別の場所で使用するにはいろいろと制限もある。すべての6面に埋め込まれている耐火材のアスベストを除去しなければならない。現在、世界各国の美術館などから80を超える譲渡オファーが届いているという。今後はプロジェクトのメンバーと黒川紀章建築都市設計事務所が協議して譲渡先を決定していく。

前田さんは「地域がかぶらないように地球上のすべての大陸に中銀の部屋が芸術品として継承されていくとうれしい」と話している。【寺沢卓】

◆黒川紀章(くろかわ・きしょう) 建築家。1934年(昭9)4月8日生まれ、愛知県蟹江町出身。東海高から京大建築学科に進学し、東大大学院時代に建築家丹下健三氏に師事。黒い服を好み、建築アーティストとして世界的に人気が高い。国内ではBIG BOX高田馬場(東京)、軽井沢プリンスホテル東館(長野)、豊田スタジアム(愛知)など設計。都知事選と参院選に出馬した2007年に73歳で他界。妻は俳優若尾文子。