「昭和の大横綱」第48代横綱大鵬の納谷幸喜さんも、ウクライナへの強い思いを抱いていた。

父マルキャン・ボリシコさんがウクライナ第2の都市ハリコフ出身であり、生前に「私にウクライナの血が流れていることを誇りに思う」と明かしたこともある。

「コサック騎兵」だった父は共産政権を嫌って当時日本の治政下にあった樺太(現サハリン)に亡命した。北海道で生まれ育ち、樺太・敷香(現ポロナイスク)の洋服店で働く母納谷キヨさんと出会い、結婚。5人きょうだいの末っ子として誕生したのが愛称「ワーニャ」と呼ばれた大鵬だ。

だが、父の存在を知ったのはキヨさんが亡くなった1973年(昭48)。妻芳子さんがキヨさんから預かっていた1枚の写真だった。第2次世界大戦の集団帰国命令で母国に戻ることが決まった父。家族は戦火を逃れるために北海道へ移住し、永遠の別れとなった。口ひげの父の姿に記憶がよみがえったことは1つだけ。本紙評論家としての活動中、担当記者に「港か駅かは覚えていないが、馬に乗って見送りに来てくれた」と吐露したことがある。

2011年(平23)5月、ウクライナから「友好勲章」を受章した。同国政府から招待を受け、家族でのウクライナ旅行を検討したが、闘病中のため断念。芳子さんは大鵬の死去後、「お父さん(大鵬)は行きたかったんです。それに『ヨーロッパ巡業をまたやってほしいし、その1つはウクライナで』って言っていたこともある」と代弁した。現在、大鵬の自宅にある遺影の前には、キヨさんの戒名の隣に、日本の住職にお願いした父の戒名も並ぶ位牌(いはい)がある。仏壇上方には父の貴重な写真を引き伸ばし、2人の遺影として飾られている。

昨年6月には、在日ウクライナ大使館が、同国オデッサに大鵬が横綱土俵入りを行う銅像が設置されていることをツイッターで発信した。土俵入りには災いや邪気を払う意味があるともされている。大鵬の三女美絵子さんは10日、「(銅像の)存在は知らなかったのですが(ロシアの攻撃で)壊れていなければ良いなと思う。もともとは一緒の国なのに…。なんで一般市民まで巻き込まれなければいけないのだろう」。長女、次女とは「もし祖父が再婚して子供が出来ていたら、遠い親戚がウクライナにいるかもしれない」などと同国への思いをはせることもある。大鵬の力強い四股が、一刻も早い停戦を導くことを願っている。【鎌田直秀】