南海、阪神のエースだった技巧派右腕で、引退後は政界進出してスポーツ平和党に所属した江本孟紀氏(75)がアントニオ猪木さんとの思い出を語った。

2018年1月29日、江本さんの叙勲受章祝賀会が開かれた。「猪木さんと知り合えたから叙勲受賞もあった。乾杯の音頭は猪木さん以外の案はなかった」。

猪木さんは、控室には車いすに乗って現れた。しかし、乾杯の際には赤いマフラーを巻き、力強く歩いて登壇した。「元気ですかぁ~」のひと言だけで会場をわかせて「1、2、3、ダー」の大合唱を誘発させた。「乾杯が終わったらすぐに帰れる案内もしたけど、ずっと会場のみなさんとニコニコ笑いながら話していました。これが猪木さんと会った最後でした」。江本さんは絞り出すように語った。

そもそも猪木さんとは知人を介してたまに食事をするぐらいの仲。猪木さんは1989年の参院選に出馬し、自身で結党したスポーツ平和党から初当選。92年参院選で党存続のため多くのスポーツ経験者に声を掛けたが誰も振り向いてくれなかった。江本さんも「ちょっと考えさせてください」とはぐらかしながら猪木さんを根負けさせようとした。公示日前日の電話でも同じように返答したが、猪木さんから「あんた、スポーツ選手が長いこと考えていい結果が出るのか」と投げ掛けられ、負けず嫌いの江本さんが思わず「じゃ、出ますよ」と勢いで引き受けてたのが発端だった。

江本さんは初当選。ところが、猪木さんが3年後に落選した。党存続を目的に誘われた江本さんだったが「党にしばられず、やりやすい方法で参院議員を続ければいい」との猪木さんの助言から無所属を選んだ。江本さんは「猪木さんと不仲とか言われたがそれはない。猪木さんはいつも笑顔。何も要求せず、私の好きなようにさせてくれた。無所属になることも快諾してくれた」と話した。

国会には魔物がすむと忠告する人もいたが「魔物なんかいなかった。当時、ほとんどの国会議員は間違いなく猪木ファン。猪木さんから他人の悪口を聞いたこともなかった。あんなスケールの大きな人は今後現れないと感じる」と話した江本さんは、野球界の恩人でもある野村克也さんの名前を出して「今ごろ、ボヤキのノムさんと“1、2、3、ダー”で盛り上がってると思いますよ」と笑った。【寺沢卓】