英国のエリザベス女王が亡くなられた。96歳。

競馬というスポーツ&カルチャーを知らない人に競馬を教えるとき、自分はまず最初にエリザベス女王のことを話してきた。怪物フランケル(14戦無敗の今世紀最強と称される馬)のラストランを見に行った12年の英チャンピオンズデー。近代競馬発祥の地・英国で、個人的に初めて現地で競馬を取材する機会だった。与えられたプレスパス(取材証)を首から下げ、アスコット競馬場のパレードリング(日本のパドック)の中に立っていると、目の前に、距離にして10メートルほどのところに、白い服を身にまとった高齢の女性が立っていた。その女性は熱心にパレードリングを周回する馬たちを見ていた。エリザベス女王だった。「えっ、こんな近くに女王が立っているの?」。驚きだった。エリザベス女王に日本のスポーツ新聞の記者がこんなに近づいていいのかな。そんなことを思った。これが英国競馬というか、競馬なんだ。そう実感した。

紫を基調にした女王の勝負服がある。女王の所有する馬が走るとき、馬主欄には「The Queen」と馬主名が記載される。ずばり、女王だ。女王は自らの牧場を持っていて、生産を行ってきた(女王所有だった名牝ハイクレアの子孫が日本の最強馬ディープインパクト)し、毎年6月中旬には王室主催のロイヤルアスコット開催があって、レーシングプログラムには女王が書いた「エリザベス」の署名があった。ロイヤルアスコットの開催中は毎日、馬車でウインザー城から来場。その日の女王の帽子の色が何色なのかをブックメーカーが賭けの対象にすることで有名だった。女王が来日した記念で命名された「エリザベス女王杯」が日本にはあり、世界中で「クイーンエリザベス2世」の名を冠したG1競走が行われてきた。

今から4年前、18年の英ダービー(日本生まれのディープインパクト産駒サクソンウォリアーが無敗のまま、断然の1番人気で英ダービーに挑戦=4着)を取材に行った時も、レース前、エプソム競馬場のスタンドに到着したエリザベス女王はすぐ目の前をしっかりと歩き、ほほ笑みながら通り過ぎていった。オーナーとしては、残念ながら悲願の英ダービー制覇を果たせなかったが、競馬を愛し、競馬界へ多大な貢献があったエリザベス女王。英国だけでなく、世界中の競馬界にとって、計り知れない存在だった。【木南友輔】