3強対決のクラシック最終戦を制したのは、渡辺薫彦騎手(24)と3番人気のナリタトップロード(牡、栗東・沖)だった。4角手前のスパートから早めに先頭に立つと、そのまま後続の追撃を振り切った。渡辺はデビュー6年目で悲願のG1初勝利。師匠の沖芳夫師(50)との二人三脚で、ダービー2着の無念を晴らした。2着は直線で猛然と追い込んだテイエムオペラオー(牡、栗東・岩元)。1番人気で武豊(30)騎乗のアドマイヤベガ(牡、栗東・橋田)は、道中の折り合いを欠き6着に敗れた。
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こん身の力を振り絞って追った。残り300メートル、渡辺とナリタトップロードが先頭に立った。頭の中はもう真っ白になっていた。無我夢中だった。「頑張れ。頑張ってくれ」。ただひたすら両の腕に力を込めた。
外から赤い帽子2頭が迫ってきたが、真っ先にゴールに飛び込んだのはただひとつの白い帽子。トップロードだ。その瞬間、渡辺の左腕が澄み切った京都の空に高々と上がった。
検量室に引き揚げてきた同騎手を若手騎手たちが出迎えた。珍しい光景だ。「おめでとう」。だれもが彼のG1初勝利を喜んでいた。騎手独身寮の寮長を務め率先して雑用などをこなす苦労人。その男がようやくつかんだ、栄光の瞬間だ。
この日は、涙は見せなかった。照れ笑いを浮かべながら「今日はずっと泣かないでいようと思います。あんまり泣いているとみっともないから」と渡辺。表彰台の上からは白い歯がこぼれた。隣に立った、今にも涙がこぼれてきそうな沖芳夫師とは対照的だった。
6月6日、日本ダービー。レース後は目を真っ赤にはらして泣いた。「悔いのない騎乗ができた。馬は最高の出来でした」。それは2着に敗れたにもかかわらず、自分の騎乗を褒めてくれた沖師への感謝の涙。そして、来たるべき秋にリベンジを誓う涙だった。
この夏、渡辺は開催が終了(8月1日)した函館競馬場に1人残った。レース開催の週末だけ札幌へ赴くという不便な生活。「ダービー後の5カ月はモヤモヤしたものがあったから」という。それは秋へ向け我慢の時だった。「ジョッキーは僕だけ。だれもいなくて寂しかった」というが、そばにはいつもトップロードがいた。この時の経験が渡辺をして「僕がトップロードのことを一番知っている」と、言わしめる自信につながっている。
沖師はいう。「本人もいろいろと考え、悩んでいたようです。その時、苦しんだことが本人の大きな財産になったんでしょう」。
師匠は、まな弟子が秋を迎えひと回りたくましくなったことを確信していた。「レースにいって周りが見えるようになってきた。ダービーの大舞台を踏んで自信をつけたんでしょう」。
ダービー、京都新聞杯。ビデオのリプレーを見るような2度の敗戦。もう3度目は許されない。プレッシャーも、並々ならぬものがあった。「どうやったらベガに勝てるのか」。何度も師弟で話し合った。渡辺は過去の菊花賞のビデオを繰り返し見たという。悩み抜いた末の結論が「早めの競馬」だった。4コーナー手前でのスパートだった。
この日の朝、沖師は渡辺に言った。「何か迷っていることがあれば言っておけよ」。しかし、返ってきたのは「大丈夫です」のひと言だけ。もう何も言う必要はない。すべてを任せる。師弟の心はこの時ひとつになった。
「結果オーライ。本来ならもう少し早めにいくはずだったのに」。沖師はレース後、そう言って苦笑いを浮かべた。しかし、渡辺は自信満々に振り返った。「手ごたえが良かったので、直線を向くまで追い出すのは待ったんです」。レースの流れを読んでの冷静な判断。それはひと夏を越した渡辺の象徴だった。
3冠は3強がそれぞれを分け合った。「来年からも3強と呼ばれているような位置にいたい。だから菊花賞を勝ちたかったんです」と沖師。この日がすべての始まりになる。暮れの有馬記念、そして来年のG1ロードへと3強のライバル物語は続いていく。【鈴木良一】
◆ナリタトップロード▽父サッカーボーイ▽母フローラルマジック(アファームド)▽牡4▽馬主 山路秀則▽調教師 沖芳夫(栗東)▽生産者 佐々木牧場(北海道門別)▽戦績 9戦4勝▽総収得賞金 3億7888万4000円
(1999年11月8日付 日刊スポーツ紙面より)※表記は当時

