岩手県水沢競馬のヒーロー、メイセイオペラ(牡6、水沢・佐々木修)が、中央競馬G1初制覇の快挙を成し遂げた。キョウエイマーチの逃げを好位で追走、直線で力強く抜け出した。中央のG1勝ちは地方馬にとって、ダーリンググラスのジャパンC挑戦(10着)以来、16年来の悲願だった。また亡き夫の遺志を引き継いだ現オーナーの小野寺明子さん(58)にとっても、忘れられない感激の勝利となった。

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競馬史上にまたひとつドラマが生まれた。これまで地方馬が挑戦し敗れ続けた中央G1(級)制覇の夢。延べ20頭目のメイセイオペラがついにその偉業を達成した。ゴールの瞬間に高々と揚げられた菅原勲騎手(35)の右腕が地方馬が中央勢を超えた瞬間を象徴していた。ファンもこの快挙に惜しみない拍手を送った。メイセイがただ1頭ゆっくりと引き揚げてくると、スタンドは「イサオ(菅原騎手)コール」一色、大興奮に包まれた。「信じられない。最高です。ファンの声援もうれしかった」。ジョッキーは興奮を隠しきれず、地下馬道に潜るまで何度もファンに手を振り返していた。

大方の予想通りレースはキョウエイマーチが引っ張った。メイセイは普段よりやや抑えめの4、5番手での競馬になった。スタート直後の芝にとまどったわけではない。直線の長い東京コースを意識したレース前からの作戦通りだった。道中の折り合いもぴたりとついたまま、勝負どころの4コーナーへ。「後ろから早めに来られたら一緒に動こうと思ったけど、だれも来なかったのでギリギリまで追い出しを我慢できた」(菅原)。じっくりと脚をためた分、直線の伸びも抜群だった。武豊のエムアイブランも必死に追い込むがメイセイの上がりは3ハロン35秒6。差が縮まることはなかった。いったん抜け出してからはセーフティーリードをキープしたまま1分36秒3の好タイムで快勝した。

今後は天工トレセンで調整を積み、5月に地元で行われるシアンモア記念(水沢、ダート2000メートル)に備えるが、陣営はこの「大いなる1勝」にも満足してはいない。佐々木修一師は「芝のレースも使えるなら使ってみたい」と新たな可能性を模索している。このままダート路線で行くにしても、まだ打倒アブクマポーロという大きな宿題も残っている。交流競走では中央勢の巻き返しを受けて立つことにもなる。だが菅原騎手のメイセイに対する信頼は厚い。「レースに出るたびに力強さを増している。これからもどんどん強くなると思う」。4歳時に頭蓋骨陥没という大アクシデントから復活した奇跡の馬メイセイに秘められた可能性は計り知れない。 【高木一成】

 

故・小野寺良正オーナーの意志継いだ明子夫人「主人は天国で喜んでいる」

東北の雄から日本を代表するスターホースとなったメイセイオペラを所有する(有)明正商事の先代オーナー、小野寺良正さん(故人)は、地方馬初の中央G1優勝の晴れ姿を見ることはできなかった。

東京での俳優が花開かずに宮城県気仙沼市で建設業小野良組を興した先代は、サラブレッドに魅せられオーナー業にも手を染め、明正商事(競走馬を所有、管理する法人)を興した。しかし、メイセイオペラがデビューする1996年(平8)7月に病床に伏し、盛岡競馬場で挙げた初勝利のシーンは、家族が撮ったビデオを病院で観戦。テープが擦り切れるほど何度も何度も見た。それほどメイセイオペラにかける期待は大きかった。だが、競馬場でその雄姿を1度も見ることなく、そのまま62歳の生涯を閉じた。

競馬が好きだった先代の遺志を引き継いだ気仙沼市在住の明子夫人は「本当は私は、それほど競馬は好きではなかったのですが、主人がものすごくほれ込んでいたものですから……。(オペラの)素晴らしいレースを主人にも見せてあげたかった。表彰台に立たせてあげたかった。でも、天国で喜んでいると思います」と目に涙を浮かべた。

一方、メイセイオペラに生死をさまようアクシデント(馬房内でぶつかって頭蓋=がい=骨骨折)が起きたのは97年9月23日のことだった。目の上の部分で、もし患部があと1センチ上だったら、間違いなく即死だった。明子夫人は「あの時は頭からの出血がひどくて……。かわいそうで見ていられなかった。涙が出ました」と振り返る。

もし、先代オーナーの死去で、中央へトレードされていたら……、あるいは骨折部が1センチずれて死亡していたら……、こんなドラマは生まれなかった。【多田薫】

◆メイセイオペラ ▽父 グランドオペラ▽母 テラミス(タクラマカン)▽牡6▽馬主 (有)明正商事▽調教師 佐々木修一(水沢)▽生産者 高橋啓(北海道平取町)▽戦績 地方25戦16勝、中央1戦1勝▽主な勝ちくら 1998年(平10)南部杯(統一G1)▽総収得賞金 地方2億4789万5000円、中央9773万8000円

(1999年2月1日付 日刊スポーツ紙面より)※表記は当時