93年のダービー馬ウイニングチケットが18日、けい養先の北海道浦河町「うらかわ優駿ビレッジAERU」で、疝痛(せんつう)のため息を引き取った。33歳だった。

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栗東・伊藤雄二厩舎時代に、ウイニングチケットの担当だった島明広・調教助手(54)は、“チケゾー”と呼んでかわいがっていた“相棒”の旅立ちを静かに受け止めた。

33歳の大往生に「いろいろ勉強させてもらって『ありがとう』としか言いようがない」と言葉を絞り出した。

最後に会ったのは、2年前の夏だった。「うらかわ優駿ビレッジAERU」で再会した。ちょうど「ウマ娘」でも人気が出ていたころだった。

「牧場の人は『歯が丈夫でカイバを食べられているのが、長生きのひけつでは』と話していた。そんなに体も大きくなくて(ダービー優勝時458キロ)脚元に負担が掛からなかったのも、良かったんだと思う。生きている間に会えたことは、奇跡だった気がする。ニンジンもあげることができて、良かった」。

ホースマン最高の栄誉、ダービーのタイトルをもたらしてくれてから、今年でちょうど30年になる。現在は、名門友道厩舎の一員として汗を流している島助手。天国へ旅立った名馬を、しみじみとしのんだ。