「ウマ娘 プリティーダービー」リリースから2周年。ミスターシービーが、新たな育成ウマ娘として登場することになりました。実存したミスターシービーは、強烈な末脚を武器にクラシック3冠を達成。今回は、ミスターシービーが制した83年菊花賞の復刻記事を掲載します。

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ミスターシービーが圧倒的な強さで19年ぶり、史上3頭目の3冠制覇を達成した。4歳クラシックの最終戦、第44回菊花賞3000メートルは13日、京都競馬場でスタート。さつき賞、ダービーを連取しているミスターシービーは最後方から一気にスパート。4角では早くも先頭に立ち、ゴール前、追い上げるビンゴカンタ以下20頭を問題にせず、3分8秒1で快勝。吉永正人騎手(42)、松山康久調教師はともに同レース初優勝。ミスターシービーはこれで昭和16年のセントライト、昭和39年のシンザン以来の3冠馬となった。

どんじり強襲-。吉永正ミスターシービーは近代競馬の常識をくつがえす戦法で、ついに「3冠」の大偉業を達成した。それは周囲の雑音にまどわされず、信念の道を歩んできた騎手、吉永正人(42)の努力の花が、約7万人のファンの前で咲いた瞬間でもあった。

晩秋の淀にくり広げられたドラマは急展開で進む。2周目3角手前、ゴールまであと1000メートルの地点だった。19番手という後方を馬と話しながら進んでいたジョッキーが突然、動き出したのである。早仕掛け。見方を変えれば無謀にも見える。そこは過去の名馬が挫折した「心臓破りの坂」、京都競馬場の最大の難関。しかし馬をなだめ、耐えに耐えた吉永正は「よ~し、それほど行きたいなら行け」とばかり手綱をゆるめた。

するとどうだ。ただ1頭のブルー帽子が矢となってターフ上を飛んだ。3角過ぎで2番手、そして直線は勢いに乗って先頭だ。まだ400メートルもある。末脚を失う不安から、どのジョッキーも出来なかった芸当を、馬の強さを信じて吉永正は「勝負!」と出た。全休の月曜日もポツンと1人で欠かさずシービーを見守り、夜は水の飲み具合まで調べに行った仲なのだ。すべては信頼の手綱、といえる。

太いきずなは、ビンゴカンタ以下を3馬身もしりぞける完勝につながった。引き揚げてきた吉永正の第一声は、照れ屋らしく「馬が強かった。馬に勝たせてもらっただけ」と、普段通りそっけない。違ったのは、厄年を迎えた男にしては幸運すぎるのか、今にも泣き出しそうな表情であったこと。さすがに36年デビュー以来こつこつと日の当たらない道を歩んで来た男に似つかわしいコメント。これは騎手として恵まれた体でなく、この日までが減量の戦いだったからだ。

163センチ、55キロ。他の騎手よりも4キロは重い。デビューから目もくらむ減量の連続で「ノドがからからにかわき水が飲みたい。雨の日は帽子から伝わる一滴のしずくがとてもうまいんですよ」。57年春の天皇賞(モンテプリンス)まで22年間もビッグレースに縁がなかったのも減量苦が影響していたともいえる。

吉永正は、しかし勝った。みち子夫人によれば「出発日(4日)のこと、時間がせまっているというのに直前まで2時間もグーグー昼寝していました。神経がずぶといのか、今日もプレッシャーはなかったみたいですよ」という。3冠の舞台でもプレッシャーを感じさせない大胆な騎乗ぶりが出来たのも、地道に自分の道を歩んで来た努力のたまものだった。

◆ミスターシービー ▽父 トウショウボーイ▽母 シービークイン(トピオ)▽牡4歳▽馬主 千明大作氏▽調教師 松山康久師(美浦)▽生産者 千明牧場(北海道浦河町)▽戦績 9戦7勝▽総収得賞金 2億7655万4300円▽主な勝ちクラ 共同通信杯4歳S、弥生賞、さつき賞、ダービー(58年)

(1983年11月14日付 日刊スポーツ紙面より)※表記は当時