1日付で調教師に転身した福永祐一技術調教師(46)の「騎手引退式」が4日、レース後の阪神競馬場で行われた。

開かれたパドックには多くのファンが詰めかけ、最後の勇姿を見守った。福永師の一問一答は以下の通り。

-本当にお疲れさまでした。

福永師 ありがとうございます。

-サウジアラビアでラスト騎乗。むちを置いた時の気持ちは

福永 レース直前まではもういつもと同じ感じでレースに集中もできていましたし、あまり変わらないような状況だったんですけども。やっぱりレースを終えて帰ってくる時には、やはり競馬場で乗ることはこれが最後なんだなと思うと、少し感慨深いものがありました。

-レース後には空を見上げるしぐさもあった

福永 とてもきれいな空だったので、祖父のこととかいろいろ思い返していましたね。

-今日は誘導馬の騎乗も行った

福永 本当にJRAの方々がいろいろ考えてくださって、ああいう場を設けていただいて、いい記念になりました。自分が乗っていた馬の返し馬も近くで見れましたし、なかなか得がたい経験をさせていただきました。

-騎手人生27年を振り返って

福永 あっという間ではなかったです。本当にいろいろありました。でも一番思ったのは、デビュー戦の映像を久しぶりに見ましたけど、本当にセンスのかけらもないと改めて思いますね(笑い)。若いジョッキーたくさんいると思いますけど、みんな自信持ってやっていってくれたらと思います。本当にめちゃめちゃ下手でしたね(笑い)。

-時代、時代でいろんな思いがある

福永 そうですね。20代はとにかく、どうやったら勝てるかということだけしか考えてなかったですね。毎日そのことを考えて生活していました。30代は自分の技術を見つめ直して、どうやったらうまくなれるのかということを中心にやってきた年代でした。コーチとの出会いもありましたし、藤原厩舎との出会いもあって、自分の技術を改めて見つめ直していたのが30代でした。40代からは競走馬について、より深く考察するという年代だったと思います。そういった20代、30代で積み重ねてきたものが、40代で花開いたのかなとは思います。

-師匠の北橋修二先生との歩みもあった

福永 そうですね。小さい時から、うちは父親の介護で家族がみんな手がかかってましたから。僕は2歳で生まれたばかりの妹はいましたけど、外食だったりとか、動物園に連れて行ってもらったりというのはうちの家族はなかなか難しかったので。それを代わりにしていただいたのが北橋家だったので。そういったところから長く、騎手になってからもそうですけど、家族と同等、いやそれ以上の関係性を築かせていただいています。

-3冠馬コントレイルとの出会いもあった

福永 僕はもう、ジョッキーのキャリアの最後の方で切望していたのはスターホースとの、競馬史に名を残すような馬との出会い、ただそれだけだったので。本当に自分のその最後の願いをかなえてくれたのがコントレイルでした。

-親交のある野村忠宏さん、市川團十郎さんからサプライズメッセージ

福永 野村さんは本当に結構、長い間で親しくさせていただいていて。今日も見に来ていただいていてさっきまで話をしていたので、ちょっとビックリしました。團十郎も本当に長いですけど、エピファネイアでダービー負けた時に、一緒に泣いてくれたりもしてましたし。何かいろいろ思い返しますね。本当にうれしいです。こうやってメッセージを寄せてくれて、本当に感謝しています。

-最後にあいさつを

福永 今日はたくさんの方に来ていただきまして、本当にありがとうございます。思い返すといろいろあるんですけども、福永洋一の息子として生まれてこなければ、騎手の道を選ぶこともなかったですし、豊さんの存在がなければまた騎手の道を志すこともなかったです。母親に対しては本当に、全く競馬に興味がなかった自分が急に騎手になるということで本当に驚かせましたし、ずっとつらい思いをさせ続けてきたなと。27年、こんな親不孝はないなと思いながら続けてきましたけど、ケガはありましたが最後こうやって健康な状態で引退することができて、ようやく長きにわたった親不孝を終えることができて、ホッとしていますし、申し訳ない気持ちでもいます。僕は本当に福永洋一と北橋修二先生、その2人の作品だと思っています。ジョッキーとしては、本当に北橋先生には出来が悪くて迷惑をかけてしまいましたけども、たくさんの人が支えてくれたおかげでこれだけの勝利数を積み上げてくることができました。先ほどファンの方のメッセージにもありましたけど、僕を努力の天才だと言ってくださる方もいますけども、僕が努力できたのは、本当にたくさんの方が支えてくれたので、その方々の思いに報いるためには自分は頑張ることしかできなかったので。思うような結果、もっともっと本当は勝たないといけないぐらい応援してもらいましたけど、そういった方々の期待に応えられたかどうかは最後まで分かりませんけども、一生懸命、真面目に勤め上げることしかできませんでした。騎手としてはこの3月まで、27年のキャリアを続けさせていただきました。これからは調教師として、また一から福永祐一としての、調教師としてのキャリアを積み重ねていこうと思っています。ようやく2人の元から巣立つことができたのかなと思っています。デビューした時から本当に多くのファンの方にも応援していただいて、最後もこれだけ数多くの方に来ていただいて、本当に幸せな騎手人生でした。自分には過ぎた騎手人生でした。これから、たくさん応援していただいた方々の思いに応えていくためにも、競馬ファンのみなさんに応援してもらえるような馬を、この競馬場に送り出していきたいなと思っています。東京競馬場でも言いましたが、最高の騎手人生でした。本当にありがとうございました。